「一種の」という表現について
PledgeCrew [こりゃだめだ] 「自己ルール」て言ったって、他人に関わるもので他人に表明したのであれば一種の片務契約でしょ。それじゃ自分は平気で約束を破る人間だと公言するのと同じですわな*1
tari-G [これはすごい][ウキャキャキャキャ] 「他人が聴くことが可能な場所でしゃべったら独り言ではない!」…と(笑)つまり、独り言を言うには、周りを見回し人やマイクが無いことを確認してから言わないと、片務契約が成立しちゃうらしい(笑)(笑)(笑) *2
自己ルール云々や片務契約云々って、言ってみれば水伝並みのトンデモなので、そこに気付く気配がない以上、もはや救いようがないというのが、正直、客観的な状況だと思う。
by tari-G 2010-01-19 22:53:43*3
ところで、「一種の」という表現は、たとえば次のように使う。
- 外交とは一種の戦争である。
- 恋愛とは一種の病気である。
こういった表現に対して、それは「外交」と「戦争」の違いを無視するものだとか、「恋愛」を癌や結核のような本物の病気と同一視するものだと解釈するものがいれば、ふつう、まともな日本語読解力を持っているとはみなされないだろう。
この場合、「一種の」とは両者に共通する性質をとりあげただけの、比喩表現の一種にすぎない。それにしても、口を開けば開くほど自ら墓穴を掘りまくる人というのは、よほど「客観的な状況」を見る能力に欠けているのだろう。まるで、撤退時期を見失って自滅したどこかの国の軍隊のようだ。