ブコメへの補足(大幅に加筆)

http://d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1

PledgeCrew [在特会][支持する] 「非暴力」を旗印にした戦略家気取りのブコメには反吐がでる。問題は逮捕された少年を見捨てるかどうか。司法判断など関係ない。在特会の言うように彼が帰国子弟であるなら、彼にとってこれはただのゲームではない


一定の状況の中で、結果としてある行為をおこした者について、そこに一定の正当性を認め、そちらの側に立つということを表明したからといって、それはただちにそのような行為そのものを礼賛し、他の者にも同様の行為をとるよう呼びかけることを意味するわけではない。上の記事を読む限り、toledさんが言っているのもそういうことではあるまい。

もしも、そのような理屈が成り立つのなら、刑事裁判において冤罪ではない明確な「真犯人」であるところの被告人を弁護し、裁判官に対して事件の背景を考慮した情状酌量を求める行為もまた、同様にそのような犯罪を賞賛し呼びかける「非道徳的行為」として非難すべきということになる。しかし、そのような論理は、刑事裁判における弁護そのものを否定することにほとんど等しい。

人質をとって旅館に立てこもった金嬉老の裁判を支援した人たちは、そのことで、他の在日朝鮮人らにも同様の事件をおこすように扇動したとして非難されるべきだったのか? 支援者らは、実際にそのようなことを意図していたのか? いうまでもなく、彼が行った行為は明確な「犯罪」である。だが、だからといって彼を支援することまで非難するのは、とんだお門違い。それとこれとは別の話だ。

親や配偶者からの日常的な虐待や暴力に耐えかねて、やむをえずなんらかの事件を起こした者を弁護し支援したからといって、それがただちに同様の虐待に苦しむ他の者らに対して、同じような行為を推奨し呼びかけることになるのか?

あるいは、貧困によって犯罪に走った者に同情し支援することは、そのような「犯罪行為」を誘発するものとして禁じられるべきなのか? それとも、そういった人々を弁護したり支援したりする者らは、なにか言うたびにいちいち「彼の行った行為は許しがたいものですが」などと前置きし、弁解しなければいけないのか? 

司法判断がどうであれ、個々人は自らの責任でどちらに立つか判断すればよいだけのこと。それとこれとは関係ない。「司法判断」がどうのという論は、たんに自己の良心と責任を捜査機関だの裁判所だのというたかだか一国家機関に預けているにすぎない。警察等による法的判断の結果がどうであれ、それによって少年らを擁護することまで一様に非難されたり、禁止されたりする筋合いはない。

mojimojiさんが言うとおり、「toledに賛成するかどうかはともかく、toled批判の水準」はあまりにも低すぎる。「少年らの側に立つ」という元記事の言葉をつかまえて、「暴力」容認だの「テロ」容認だのと騒いでいる連中は、あまりに頭が悪すぎる。「暴力反対」を錦の御旗にして逮捕された少年を見捨てるようなら、そんな者は最初から味方ではない。

本人になんの落ち度もない明々白々な「冤罪者」でなければ、被逮捕者や容疑者、被告人への弁護や支援をいっさい行なってはならないなんて、馬鹿な話はない。お上に逆らってはならなかった江戸時代ならいざ知らず、少なくとも現代の日本では。その程度のことも分からぬ者は、もう一度中学の「公民」から勉強しなおすべし。