議論の作法、あるいは「論点ずらし」ということについて

http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51607219.html
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51612134.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/131535144.html#comment


世界の中の事象というものは、いずれも複雑に構成されており、様々な側面を持っている。だから、ある問題についての論を批判するさいに、そこで抜け落ちている重要な視点や論点を指摘し、そこから相手を批判することは、それ自体として議論の作法に反することではない。そもそも、論点の客観的な軽重ということに限らず、同じ問題でも、人によって、どこに関心をもつか、どこを重視するかが異なるのはよくあることだ。個人の問題意識というものは、みな同じではない。

したがって、ある論を批判するさいに、その対象である論者と同じ土俵に、本意ではない場合もあるがことさらに乗ってみせて、その矛盾や誤りをつくか、それとも相手の土俵に乗らず、土俵そのものを引っくり返すかは、そのときどきの事情によるのであり、必ずしも相手の問題設定そのものに捉われる必要はない。そこで相手が論じていないことを勝手に持ち出したからといって、それがそのまま悪質な「論点ずらし」や「印象操作」を意味するわけではない。

しかし、場合によっては、相手の議論がそもそも一定の流れや枠組みの中にあり、その関係において、問題の特定の側面しか扱われていないということもある。特定の議論において、論じる対象のすべての側面を論じるなんてことは、どんな場合にも無理なのであり、本来ならば、その問題に関するきわめて重要な論点であっても、そういった行論の関係上、採り上げられていなかったにすぎないということもある。

そのような場合に、あたかも、お前は一番大事なこの点を無視している、これを無視しているのは、そのことに関心がないからに違いないかのように弁ずるならば、それはただの「言いがかり」であり、「論点ずらし」による「印象操作」でしかない。むろん、そのような「論点ずらし」が生ずる原因は、誤読や誤解、思い込み、なんらかの強迫的意識など様々であり、そのすべてが意図的で悪質な「印象操作」だとは限らないが。