いやな感じ

40年ほど前に亡くなった高見順という作家 (タレントの高見恭子の父親) に、戦前の暗い時代を描いた 『いやな感じ』 という小説があるが、今回の松岡農水相の 「国民の皆様」 に宛てた遺書の最後の言葉を知って、なんだかとてもいやな感じがした。
いうまでもなく、 「安倍総理 日本国万歳」 という言葉のことであるが、いったいどうして、彼は自分の生をこのような奇妙な言葉で締めくくったのだろうか。
断っておくが、これは彼を非難して言っているわけではない。
中国に「人の将に死なんとする、その言うや善し」という言葉がある。『論語』の一節で、孔子の弟子の曾子という人が病床で語った言葉だそうだが、人が死を前にして言う言葉は、偽りのない真実のことばであるというぐらいの意味なのだろう。
だから、たぶん松岡農水相の遺書の言葉にも嘘はないのだろうと思う。だが、だからこそますます暗然としたいやな気持ちがするのだ。
これはいったいどういう意味なのだろう。「安倍総理 日本国万歳」 などという言葉を、彼はどういうつもりで残したのだろうか。いったい、なぜ彼はこんな奇妙な言葉を自分の一度しかない生の締めくくりに使ったのだろうか。これではまるで、かつて特攻隊の隊員らが書き残した、「天皇陛下万歳」という言葉と同じではないのか。
今の内閣には、死を決意した人間にまで、総理への忠誠心と愛国心の発露を求めるような雰囲気でもあるのだろうか。だとすれば、それはとても恐ろしいことではないだろうか。
むろん、今の閣僚全員が、首相に対して松岡氏のような忠誠心を持っているとは思わない。腹の中では、人気だけで成り上がった無知無能な勘違い野郎とせせら笑い、次の首相の座を虎視眈々と狙っているような人間もきっといるだろう。 
だが、それでもなんだかとてもいやなものを見せ付けられた気分がする。


それと、もうひとつ、松岡農水相が光熱水費問題について十分な説明をしなかったのは政府と与党の方針に従ったからだいう鈴木宗男議員の発言に対する、首相の反論もずいぶん奇妙なものだ。
大臣の国会答弁というものは、きわめて重要なものだろう。下手なことを言えば、野党から追及されて大臣の首が飛び、内閣の支持率にも影響が出る。そもそも内閣を指揮するのは、内閣総理大臣であり、その方針に各大臣が従うのは当然のことだ。
大臣が野党の質問に対して勝手がってにてんでんばらばらなことを言っていたら、内閣の一体性など保たれはしない。それでは、陸軍大臣海軍大臣などの勝手な発言や行動で、次々と内閣が引っくり返されていった戦前の時代と同じになってしまうではないか。
だからこそ、総理には大臣の答弁内容について、可能な限り事前に指示し確認する責任があるのではないのか。とりわけ、今回のようにスキャンダルが長引き、選挙にも影響が及ぶような事態にまでいたれば、首相があれこれ指示をするのはむしろ当然であるし、またそうしなければ、かえって無責任と言うべきだろう。
「もちろん政府が方針を決めることはない」 と首相は鈴木議員の言葉を強く否定したそうだが、それがもし本当だとすれば、彼は国会というものを軽視しているのか、それとも大臣の答弁に対して責任を負うつもりなどはなからないのか、のどちらかということになるだろう (あるいはその両方)。
記憶に残っている一番古い総理といえば「所得倍増政策」を掲げた池田勇人なのだが、さして仕事もせずに退陣した短命内閣を除けば、これほど恥知らずで利己的で、政治に関する基本的な教養に欠けた総理はいなかったように思う。