親の子離れ・子の親離れ

子供の才能に気づいた親が、それを伸ばしてやることは悪いことではないだろう。しかし、そのことと、親が自分の果たせなかった夢や挫折した希望を子供に投影して、その人生をがんじがらめに縛り付けることとは、全然別のことである。


テレビ局や一般の世間は、彼ら一家に今どき珍しい、家族の団結という 「美談」 を見て、ずっと注目し、話題にし、やんやの喝采を浴びせてきたのだろう。だが、その風向きは、このわずか1年ほどの間に、微妙に変わっていたようだ。先日の試合をめぐる騒動は、そのような空気の変化に対する、彼らなりの焦りの表れだったのかもしれない。


それにしても、息子が親を、兄が弟をかばうのならば可愛いが、親がセコンドとしての自分に向けられた、反則の指示という疑いをそらすために、わが息子の 「精神的未熟さ」 などを言いたてるのは、まことに見苦しいものである。そもそも彼ら一家の中で、いちばん精神的に未熟なのは、以前に試合会場で観客と乱闘騒ぎを起こしたこともある、ご本人なのではないだろうか。

もっとも、彼ら一家に、政治家のように世間の空気を読め、などというのは酷というものだ。息子は親を手本とし、弟は兄を手本とする。先にプロにデビューし、各界からちやほやされる兄の姿を見ていた弟が、兄に輪をかけた 「悪ガキ」 ぶりを気取リ、リングの内外で傍若無人な振舞いをすることが、兄と同じように人気を集め、兄に追いつき追い越す早道だと勘違いしたことも、その歳を考えれば、無理からぬことではある。


 たぶん、彼ら一家は今は世間の風向きの変化に対して、いっそう家族の 「団結」 を固めることで、この危機を乗り切ろうとしているのだろう。しかし、そういう内へ内へと閉じこもっていくやり方は、過去にいくどとなく見られた、孤立した集団が自滅に向かう道筋でもある。もっとも、スポーツは相手がいなければ成り立たないのだから、そのようなやり方がいつまでも続けられるものではないことぐらいは、彼らも分かっているのだろうが。


『自由論』 を書いたミルは、父親によって幼少期から徹底した英才教育を受けたことで有名だが、そのために青年期になって深刻な精神的危機に陥った経験から、早期の英才教育に対しては批判的なことを言っている。


昔は、こういう話は天才少女としてデビューした美空ひばりとか都はるみのように、芸能の世界に多かったものだが、いつの世も、世間に喧伝されるのは成功例ばかりであって、失敗した例が参考にされることはあまりない。むろん失敗した場合は世に出ないわけだから、これは当然なのではあるが。しかし、過剰な親の期待という重圧によって、取り返しのつかぬ結果が生じるおそれがあるのは、なにも子供を幼いときからお受験に駆り立てる 、「教育ママ」 や 「教育パパ」 に限った話ではないだろう。


ゴクウやクリリンに対する亀仙人の言葉ではないが、「もうお前に教えることは、なにもない」 と言って、自分からいさぎよく身を引き、息子たちを広々とした外の世界へ送り出すことが、永年の師匠として、また父親としての彼の最後の仕事ではないのだろうか。昔から、「可愛い子には旅をさせよ」 とも言うことだし。


スポーツの世界では、肉体的な条件のために、活躍できる期間が限られている。それはしかたないことだ。だが、苛酷なトレーニングを、幼いときから何年も歯を食いしばって耐え忍んできたあげくに、お笑いタレントやアイドルなどと同じように、視聴率稼ぎのためにほんの数年で使い捨てにされては、彼らも可哀想である。タレントと違って、彼らの選手生命はそんなに長くはないのだから。