中国はどこへ行く (2)

現代の世界では、南極を除いて大洋に浮かぶ孤島や地の果てのような地域まで含めて、すべての土地はどこかの国に属している。近代以前の国家の領土が、そのときどきの勢力に合わせて、ゴムのように伸び縮みする融通無碍なものであり、その国境が輪郭線のない印象派の絵のように曖昧なものだったのに対して、近代の国家は明確でしかもできるかぎり固定された国境線を求める。

国家と国家がせめぎあう中で、他国との間に帰属の曖昧な土地を残しておくことは、相手国による併合を座視することであるから、すべての国家は周辺国との力関係を計りながら、自国の力が許す限りで周辺の土地に対する領有権を主張しようとする。それは、そこにすでに誰かが居住していようと関係ないし、もちろん彼らの意志とも関係ない。幕末に日本がロシアと結んだ領土条約も同じことである。

そういうわけで、国家と国家の合間、その隙間で国家を形成せずに居住していた人々は、そのような国家と国家の都合によって引き裂かれることになった。イランとイラク、トルコの三国にわたって居住するクルド人がそうであるし、旧中ソ国境をまたいで暮らしているウィグル人、モンゴルと中国の両方に住んでいるモンゴル人などもそうである。

そのような人々は、川一本、山一つをはさんで別々の国家に帰属することになり、別々の国家への忠誠を求められることになる。もしも、そのような隣接する国家同士が敵対関係に入れば、国家への忠誠心を最初に疑われるのは彼らであり、その結果、潜在的なスパイとして監視下に置かれ、ときにはスターリン時代の朝鮮族などのように、国境地域から民族まるごと遠方へ強制的に移住させられるというようなことすらある。

たしかに、国と国の対立が一般的であり、相互の不信感がぬぐえなかった時代には、そのような行為にも一定の合理性がなかったわけではない。しかし、国どうしの相互依存が進み、全能の主権国家などもはや存在しえない現代では、そのような必要性はかなりの程度消失したというべきだろう。寸土の土地の領有をめぐって、武力で争うことの愚かさは言うを待たないし、辺境の少数民族地域の独立を認めたところで、それが即座にその国にとっての戦略的な危機を意味するわけでもないだろう。

大正末期から昭和初期にかけて一世を風靡した福本和夫に、「結合の前に分離を」という有名な言葉があるが、分離・独立は必ずしも敵対や関係の断絶を意味するわけではない。辺境の少数民族がもしも分離・独立を望むならば、それを認めたうえで、あらためて良好な関係の維持に努めればよいだけのことだろう。

中国による 「解放」前のチベットの社会がきわめて後進的であったのは事実だろう。しかし、いま独立を求めている人々らが、いまさらそのような政教一致体制の復活を意図しているわけでもあるまい。軍隊を動員した武力による弾圧はますます相互の不信を生み、敵対関係を強化して問題をこじれさせるばかりである。そもそも自由に意志を表明することすら許されていないのでは、問題の解決など不可能というものだ。

現在の中国政府は、蔓延する地方の党幹部や官僚の腐敗に強い危機感を持っており、汚職摘発に力を注いでいるようだ。しかし、そのような腐敗は、そもそも単一の党が権力を独占しているからこそ起きるのではないか。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という言葉もあるが、すでに革命の理念も理想もとうに失われた今の時代に、住民に対して絶対的な権力を行使する地方幹部らに対して、清廉であることを求め、権力がもたらす誘惑に負けないように要求するのは、どだい無理な話というものだ。

党に対する民衆の信頼が揺らぎ、党の権威が失墜しつつある中で、なおも権力の独占を続けようとするならば、そのような支配は必然的に暴力的な方法への依存を強めざるを得なくなる。そのような統治は、いわばいつ火を噴くかもしれぬ噴火口の上に座っているようなものであり、党による支配は、最終的に軍事的専制の単なる薄皮に過ぎぬようなものに変質するか、でなければ、なんらかのきっかけによって、党に代わり軍そのものが直接政治の前面に登場してくるという怖れすらある。

Youtubeでは、徒手空拳で黙々とヒマラヤの峠を越えようとするチベット僧侶が中国の国境警備兵によって次々と射殺される映像*や、軍によるチベット人への弾圧のようすが公開されている。植民地支配や少数民族への弾圧で 「残忍となること」 を学んだ軍隊は、いずれ自国民や自民族に対しても牙を剥くようになるだろう。

たとえば、ワイマール共和国時代に、数多くの暗殺行為を行うなど、暴力をほしいままにし、やがてナチスによる支配への道を開いたフライコール(義勇軍)や、アルジェリアの独立を認めたドゴールに叛旗を翻して、フランス国内でテロ活動を行い、ドゴール暗殺を企てた植民地出身の軍人らもそうであった。広大な中国の地方の農村や辺境でいったいなにが起きているのか、そのことを知らないのは、いまやかんじんの中国国民だけなのではないだろうか。


追記:(3/22)

中国共産党がこれまで軍に対して絶対的な権威を行使してきたのは、毛沢東は別格として、周恩来訒小平などの 「革命第一世代」の存在が大きかったと思われる。そのような世代が完全に死滅し、さらに若い世代への指導部交代が進んでいる現在、官僚出身の新たな指導部による軍の統制は、これまで以上に困難になりはしないだろうか。

戦前の日本を思い起こすならば、明治維新における 「革命第一世代」 ともいうべき伊藤や山県ら元老指導者の死滅が、国家機構とその意志の深刻な分裂を招き、ひいては 「統帥権の独立」 を盾に取った軍の暴走をだれも止められないという事態を引き起こしたのではなかっただろうか。