生兵法は怪我のもと

満州事変と「満州国」成立に関するリットン調査団による報告を不服として国際連盟からの脱退を宣言し、近衛内閣の下では外相を務めて日独伊三国軍事同盟、さらには日ソ中立条約の締結など、戦前の日本外交で大いに「活躍」した松岡洋右は、若いころアメリカに渡って苦学し、オレゴン大学を出ている。

彼はその経験から、国際通を自認し、世界の外交の舞台で日本が認められ尊敬されるには、自己の国益を積極的に主張しなければならない、安易な妥協をすることは相手の軽侮を招くだけであるということを信条として、強硬外交を主導したというが、その結果はどうであったろうか。それはもちろん言うまでもない。

自民党に限らず、最近の若手政治家には海外留学経験者が数多くいる。高市早苗小池百合子はもちろんのこと、映画「靖国」で名を上げつつある有村治子もそうである。こういった、国際事情通を自認する政治家たちの言動を見ていると、ついつい松岡の失敗を思い出すのだが、はたして当人らに彼と同じ轍を踏んではならないという自覚はあるのだろうか。たぶん、松岡がなぜ失敗したのか、考えてみたこともないのだろうけど。