丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったって?

http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1241019914/553

553 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/05/16(土) 09:36:04 id:P85aKpOW0
>>551
>「日本には市民革命が起こらなかったからフンダララ」

典型的な「反証不可能な議論」だよな。
そもそも、アメリカの独立戦争は「市民革命」で日本の明治維新はそうでないってんだから、
最初から基準が恣意的きわまりないわけで。
要は、何が何でも日本はダメだとか言いたいumetenみたいな奴の後付けの理屈。
昔のサヨの教祖だった丸山真男とかって所詮その程度でしょ。上野千鶴子と一緒で、
一般向けにはそういう俗耳に入りやすいけど根拠薄弱なことを断定的に言うみたいな。
ヨニウム先生なんかはやっぱりその辺を忠実に見習ったんだろうねw


丸山真男は、かつて共産党系などの理論家らからは、ウェーバーマルクスの二本立てによる近代経済史研究を専門にしていた大塚久雄らと同様に「近代主義者」*1と呼ばれていた。
彼にレッテルを貼るならば、それは「ブルジョア知識人」ということになるだろうし、せいぜい、彼はリベラルという立場から戦前への回帰的な動向を批判する限りでの「左翼」の同伴者であって、そのことは彼も自認していたはず。

たしかに、彼の日本ファシズム論や超国家主義運動論には、戦前の講座派マルクス主義の影響も強く見られるし、戦時下で書いた『日本政治思想史研究』では、当時ドイツ共産党の党員だったボルケナウの『封建的世界像から市民的世界像へ』や、戸坂が組織した唯研の代表的理論家だった永田広志らを参考にしたとも書いている。
しかし、戦後の政治学者としての彼の立場は、ラスキやラスウェルを手本にしたものであるから(ラスキはいちおう労働党系の非マルクス主義左派ではある)、当時の一般的常識的な分類から言えば、それこそ典型的な「ブルジョア政治学者」にすぎない。
どこの誰かは知らないが、丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったとは、これまたとんだご冗談を*2


ちなみに、丸山がかの東大闘争で全共闘の学生からつるし上げられたことについては、政治評論家の森田実や『父性の復権』の著者である林道義らと同様に第一次ブントの残党であり、当時、東大の哲学研究室で助手を務めていた倫理学者の加藤尚武が証言している(参照)。


なお、吉本隆明の著書『情況への発言』に所収された「収拾の論理」によれば、全共闘による封鎖で研究室から追い出された丸山は、「封鎖する学生の群れにむかって、再三「肉体的に激突」(?)をくりかえし、<君たちのような暴挙はナチスも日本の軍国主義もやらなかった*3。わたしは君たちを憎みはしない。ただ軽蔑するだけだ>といったことを口走った」そうだが、これに対して、吉本隆明はこんなことを書いている。

 ...ただ、確実なことは、わたしが<ナチスも日本軍国主義もやらなかった暴挙だ>というセリフは、決して口走らないということである。なぜならば、この問題は、どうかんがえても、<私的>な問題にすぎないからである。丸山はじぶんの<研究室>が荒らされたということが、まったく私的なことであるか、まったく公的なことであるかのいずれかであり、混同された公私の問題ではないということがわからなくなっている。

 たしかに丸山真男のいうように、日本軍国主義は、丸山の労作『日本政治思想史研究』*4の執筆をさまたげなかったし、丸山が内心では戦争を嫌いながら、兵士として銃を担うこともさまたげはしなかった。しかし丸山真男は、日本軍国主義の、この見事な<寛容さ>からうけた負債を、どうやって戦後に思想的に返済したのか?もしも戦後を、学問思想の自由と、言論の自由が保証される社会がふたたび蘇った平和な社会とおもいちがえて、軍隊から復員し、そのまま大学の<研究室>に滑り込んだとすれば、すでに現在の奇妙な公私混同の錯覚は、戦後の出発のはじめにあったというべきである。


全共闘の学生がやったことが<暴挙>だったとしても、それはいうまでもなく「国家権力」による行為ではなく、したがって<公的>な問題ではない。であるから、そこで、ナチスや日本軍国主義を持ち出して彼らを非難するのはまったく的外れであるし、自分が勤める大学内の問題をめぐった紛争のために、学生らから被ったにすぎない被害をそのように言い立てるのは、それこそ、自分たちは<天下国家>を背負っているのだ、という、「後進国」日本において「立身出世」を成し遂げた「ブルジョア知識人」特有の思い上がりというものである*5。吉本が指摘した、彼の「公私の混同」というのは、そういうこと。
そもそも「昔のサヨの教祖」とかいうのなら、丸山よりもむしろ吉本のほうがはるかに相応しい。あと、「人民史観」の羽仁五郎とか?


追記:
まだ、なんか喚いてます。 http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1241019914/601
スノッブ」というのは別に否定しないけど。

それから、明治維新が「市民革命」に当たるかどうかという問題については、とりあえず下を参照。
http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200702100000/

*1:「大塚や丸山に代表される戦後日本の「近代主義者」はマルクス主義者ではなく、社会主義を――少なくとも当面の具体的目標としては――目指していたわけではなかった...」http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/maruyama.htm

*2:まあ、西尾幹二が保守派の秦郁彦半藤一利らを「進歩的文化人」と呼ぶご時世ではあるが。http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=801

*3:いうまでもなく、ナチスユダヤ系研究者の追放や、著書に対する焚書を行ったし、日本軍国主義もまた多くの学者の教壇からの追放や、出版に対する検閲・統制を行った。

*4:「あとがき」によれば、この書は昭和15年から19年にかけて「国家学会雑誌」に掲載された論文で構成されているということ。ただし出版は戦後の1952年。

*5:それは、研幾堂さんが三木清に関連して指摘している「我々の誰かが、自らの主張を、普遍的なものであり、また、その主張するところが実現されていくに、自分に無欠のイニシアチブがあると自負する」ということとも関連すると思う。http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20090512