安倍政権の教訓 (ちょっと気が早いけども)

安倍政権の教訓などというと、いささか気が早いという感がしないでもない。まだ選挙期間は一週間も残っているわけだが、与党の敗北という状況はたぶん避けられないだろう。

ただし、与党が大敗したとしても、安倍政権が退陣するかどうかははっきりしない。問題は、選挙後も与党に対してなおも逆風が吹き続けると思われる状況の中で、はたしてあえて火中の栗を拾おうという人間がいるかどうかにかかっているように思える。麻生氏はアルツ発言で味噌をつけてしまったし。

昔ならば、田中退陣のあとの椎名による三木指名のときのように、こういうときは長老みたいな人が出てきて世間をあっと驚かせる裁定を下したものだが、今はそのようなわけにもいかないだろう。小泉・安倍政権下での歪みを戻すという意味でも、また政治家としての経験や格という点でも、ここは自民党総裁としてただ一人総理を経験していない河野洋平みたいな人がもっとも相応しいのではないかと思うのだがどんなものだろう。

安倍政権は成立からまだ1年も経っていないが、その間に国民投票法の成立や教育基本法と教育三法の 「改正」 などが、あれよあれよというまに進行した。これは、たしかに1つの 「成果」 ではある。このような法律は、「戦後レジームからの脱却」 というスローガンのもとで、一気に可決・成立したわけだが、その過程で露出したものはいったいなんだったのだろうか。

本来、自民党という政党は、草の根保守からの支持を受けた地域ボスの集合体とでもいうべき存在で、どちらかというと没イデオロギー的な性格を強く持っていた。ところが、安倍政権は強烈なイデオロギー性を特徴にしている。そのイデオロギーはかなりアナクロではあったものの、現在の首相自身の人気の低下は、そのことに対する反発よりも、むしろ年金問題や閣僚の様々な暴言・疑惑問題をめぐって、首相自身の政治能力のなさが次々と露呈した結果であるように見える。

安倍政権のもとで 「戦後レジーム」 への攻撃が一気に加速したのは、いうまでもなく先の郵政選挙自民党衆院での圧倒的多数を獲得した結果である。郵政選挙は単に与党に多数の議席をもたらしただけでなく、反対派の選挙区に刺客を送り込むという強烈な手法によって、小選挙区制のもとでの党執行部の圧倒的な権力を誇示し、その結果自民党の旧来の派閥は事実上解体されてしまった。
 
亀井・堀内という当時の派閥の領袖が党を追われたにもかかわらず、当の派閥の中からはかつてのボスに殉じて党を出ようという者がほとんど見られなかったというのは、両人の人望もともかくとして、旧来の派閥という存在が完全に無力化したことを印象付けた。しかも、そこで「小泉チルドレン」なる、無知蒙昧で政治家としてのまともな見識などまるで持ち合わせていない議員が大量に当選したことも忘れてはならないだろう。

小泉前首相の事実上の指名によって、祖父直伝の古びたイデオロギーが身に染み付いた現首相が登場したわけだが、しかも小泉政権下で進行したこのような派閥の無力化のおかげで、彼はほとんど独裁的といってもいいほどの党内権力と議会内の地位を手に入れた。

その力によって、彼は一気に 「戦後レジーム」 の修正という彼個人の年来の願望の実現に着手したわけだ。これは与党の多くの支持者はもちろん、党内の多くの実力者らもほとんど予想もしていなかったことだろう。桜井よしこのような保守派の論客は、これを安倍首相の指導力と評価するようだが、はたしてそれはいかがなものか。

指摘しなければならないのは、五年におよぶ小泉政権下で従来の自民党内の秩序が大きく崩れていたことだ。安倍首相の指導力などというものは、せいぜいそのような事実を前提としてはじめて発揮されたものにすぎない。このような政権は、いささか大げさな言葉を使えば、既成秩序の解体状況のなかで一部の徒党によって権力の頂点が占拠された、一種のボナパルチズムに近いものであったと言えるかもしれない。

自らの地盤を持たぬがゆえに、ただ執行部の指示に唯々諾々と従う以外に能のない、大量の新人議員らを始めとする数の前に、党内の反対意見や不満の声は沈黙を強いられ、その結果、執行部の独善的な暴走に対して、これに抵抗し抑止する党内勢力がどこにも存在しないという状況が生れた。これはかなり異常な状況であったように思われる。

このような状態下で唯一救いともいえるのは、その大言壮語にもかかわらず、首相自身にさしたる政治的見識も能力もなかったということだろう。もっとも、「戦後レジームからの脱却」 という彼のスローガンとその政治的無能とは、ある意味表裏一体のようなものかもしれないが。ただし、彼がもし前首相のような政治的勘とパフォーマンス能力を持ち合わせていれば、鬼に金棒であったかもしれない。

選挙で政治がよくなるということはなかなか難しい。しかし、選挙の結果によっては政治は実にあっさりと悪化することがありうるものだ。このことが、たぶん安倍政権が残した最大の教訓ということになるだろう。