「無知の知」 あるいは 「無能の能」

今日はとにかく暑かった。天気図を見ると、日本列島にはほとんど等圧線がない。太平洋高気圧が、列島の上にどっかりと腰を据えてしまっていて、まさに酷暑、猛暑、狂乱の真夏日である。

おまけにテレビをつけると、「自民党は改革を約束します」などというコマーシャルが流れてくる。「年金の全額支払いに責任を持って取り組んでいます」 だとか、「改革の党 自民党」 だとか、えらくはりきったことをおっしゃっている。しかも、バックに流れるのが 『威風堂々』 ときた。このセンス、まるでどこかの不動産屋の誇大広告そっくりである。思わずテレビを蹴りつけたくなったが、まだ買ったばかりなのでかろうじて思いとどまった。

支持率が日々下がり続けているので一生懸命、というのは分からぬではないが、どうもこの人は、なぜ自分に対する評価がどんどん下がってきたのか、まるで分かっていないようだ。

年金問題」 が今回の選挙の大きな争点の1つであることは間違いない。しかし、この問題は、なにも現内閣になって起きたことではない。何十年も前から積み重ねられてきたことが、今になって発覚しただけのことである。だから、すべての責任が今の内閣にあるわけではないことぐらいは、誰だって分かっているのだ。

ところが、問題発覚後の首相の発言は、実に迷走をきわめたものだった。内閣と与党が最初にやったことは 「その責任は誰にありますか。菅直人さんです」 と言い、「社保庁のあきれた実態」 などというビラを作成したことだった。それはつまり、問題に取り組むという政権担当者としての責任よりも、自分たちの責任の回避を優先させたということだ。

このへんから、多くの国民は、「あれあれ、この人、なんかおかしいよ」 と思い始めたのだろう。そして、そのような疑念は、テレビの党首討論会で、相手の発言をさえぎっては自らの主張ばかりを述べ立て、あまつさえ質問者の言葉さえ無視して、「みなさんは私の言葉のほうを聞きたいはずです」 などと言い、まるで関係のない話をぺらぺら始めたところで、次のような1つの確信に変わったのである。


 この人、本当におかしいよ。

コミュニケーション能力に欠陥があるんじゃないの。


むろん、個人としては人さまざまである。世の中にはいろんな人がいるのだから、多少コミュニケーション能力に欠けていたところで、それだけでその人の人格がどうだこうだと言うつもりはない。しかし、一国の指導者がこれでは、ちょっとまずいだろう。たぶん、多くの人もそう思ったはずだ。

こういった首相の発言の迷走ぶりは、親や先生にしかられた小さな子供が、最初は 「僕がわるいんじゃないもーん」 と言いわけをし、それがとおらなくなると、最後にはできもしない口から出まかせの約束を並べ立てて、なんとかその場だけを逃れようとする態度とそっくりである。

かつて小渕首相は組閣にあたって、首相経験者であり、政治家としての経験も自分よりずっと豊富な宮沢氏を、三顧の礼で大蔵大臣に迎え入れたことがある。小渕という人は華やかさには縁のない人で、もともとさほど人気があったわけでもなかったが、この人事によって、この人は少なくとも自分の能力がどれほどのものか、きちんと判断できている人であり、課題に真剣に取り組む姿勢も持っているということを世間に印象付けた。

これは、なんでもかんでも 私が、私が、と言い立てる、今の首相との大きな違いである。この人は、自分の内閣に自分より優秀な人間や格上の人間がいると不安になるのだろうか、それともそういった人間を使いこなすだけの自信がないのだろうか。どっちかはしらないが、これではまともな内閣などできようはずがない。気のおけないお友達ばかりを集めた内閣では、「仲良しクラブ」 などと揶揄されてもしかたがないだろう。

諸葛孔明を軍師として迎え入れた劉備ではないが、トップに立つ人間になによりも必要なのは、なにかしら自分よりも優れたところを持っている人間を見つけ出し、自分の部下として使いこなす能力である。それができない人間には、組織のトップに立つ資格はない。

ソクラテスは 「無知の知」 と言ったそうだが、多少の能力はあったところで、自分の能力がどの程度なのかを自覚できない自信過剰な人に比べれば、自分の能力の程度をきちんと見定め、そのうえで他人の能力についてもちゃんと評価できる人のほうが、トップに立つ政治家としてはよっぽど優秀というべきである。