佐賀で起きたこと

佐賀県でこんな事件が起きている。

 

 知的障害の男性が警察官に取り押さえられて急死した問題で、県授産施設協議会(村上三 代代表、42施設)は19日、県警に真相解明と障害者への理解を求める文書を提出した。県内では過去にも障害者の安全が脅かされる類似事例が発生。国は障 害者の地域社会での自立を進めている中、家族らは「怖くて外に出せない」と切実な危機感を募らせている。

 亡くなった安永健太さん(25)=佐賀市木原=は先月25日夕、同市南佐賀の国道で、自転車に乗って蛇行運転をしたとして、警察官5人に取り押さえられ、直後に意識を失い死亡した。勤務する授産施設から帰宅する途中だった。 文書は質問書と声明文の2種類あり、質問は安永さんの遺族らから話しを聞いてまとめた。
 「なぜ手錠をかけたのか」「顔や頭などに複数の外傷があるのはなぜか」―など、安永さんが亡くなった詳しい経緯の説明を求めている。

 声明文は「警察官が知的障害者の特性を少しでも認識していれば、このような悲惨な事件は起きなかった」と地域で生活する障害者への理解を求める内容。県内の授産施設などで働く障害者約1200人の声として、県にも提出した。

   「佐賀新聞」より

この事件について、県警は現段階では 「警察官の行為は妥当だった」 との見解を示しているそうだ。

連想するのは、たとえばこんな事件だ。

 

07年9月11日には墨田区のカードショップで漫画本1冊を万引きしようとした男性(29)が店員に取り押さえられ意識不明になる事件が発生。店員2名が 翌日に傷害容疑で逮捕された。万引きした男性は漫画本1冊を万引きしようとしたところを店員に捕まえられ、殴りかかるなど暴れたため、押し倒して首を絞め られた。男性は1週間後に死亡。警視庁は傷害致死の疑いもあるとして捜査していた。


こっちは店員が 「傷害致死」 で逮捕、で、佐賀のほうは、警察官による正当な職務の執行なのだそうだ。 佐賀で死亡した人は、報道によれば自転車の蛇行運転のために、他のバイクと接触したというだけのことのようだ。

たぶん、そのためにこの人は一時的にパニックを起こしたのだろう。暴れるといった行為があったことは、確かにそうなのだろう。しかし、だからといって、5人もの警察官が押さえつけて、手錠までかける必要がどこにあったのだろうか。

警察官による職務質問などの行為について定めた、警察官職務執行法の第1条は、次のように規定されている。

第1条 この法律は、警察官が警察法(昭和29年法律第162号)に規定する個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防、公安の維持並びに他の法令の執行等の職権職務を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的とする。
2 この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最少の限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない。


佐賀県警によれば、警察官の行為は警職法の3条で定められた、「自己又は他人の生命、身体又は財産に危害を及ぼすおそれのある者」 に対する 「保護」 に当たるのだそうだ。つまり、県警の言い分によれば、警察官らは本人を保護するつもりだったのに、どういうわけだか、相手が死んでしまったということらしい。

そのような実力で制圧するという行為が、はたして通常の日本語で言う 「保護」 に該当するのかどうかもはなはだ疑問ではあるが、そもそも、上の2項の規定はなんのためにあるのだろうか。まったくもって、意味が分からない。



追記 (2007/11/4)


冤罪事件でもそうだが、こういう警察幹部の木で鼻をくくったような発言が出てくる背景には、戦後占領下で行われた警察民主化を帳消しにした集権化によって、地方警察が警察庁のもとに統合され、事実上 「国家警察」 化しているということがあるのではないだろうか。

制度上では、都道府県警は各公安委員会の監督を受ける地方ごとの組織ということになっているが、現在の公安委員会が実質的な機能をほとんど果たしていないことは周知の事実である。

本来、公安委員会制度には、首長や議会などの政治権力からの警察の独立性を担保すると同時に、警察の行き過ぎた活動を外部から規制するという目的もあったはずだ。しかし、後者の機能はほとんど果たされていない。

その結果、地方においては、各地方警察は中央の警察庁のほうのみを向いた、外部のいかなる容喙も許さぬ完全な独立王国と化しており、事実上の 「最高権力機関」 のようになっている。そのため、「職務」 の名による警察官の行為は、よほどの証拠でもないかぎり、ほとんど無答責に近い状態になっているように思える。