自明の「正しさ」を疑うことの意味

現代の日本は平和を旨とする民主主義国家なのだそうだ。したがって、平和や民主主義といった価値の正当さは、しばしば自明のものとして語られる。しかし、そのような価値あるいは理念の正しさは、本当に自明のものなのだろうか。

実際、今の世の中にも、そのような価値を当然のものとして認めていない者も、おそらく少数とはいえ存在するだろう。目を世界にまで広げれば、むしろそのような人々のほうが多いのかもしれない。

本当のことを言えば、自明の価値とされているものは、多くの場合、一定の制度と立場を前提としているのであり、そのような立場=価値観を共有する者らにとっての自明の正しさでしかない。


たとえば、ワイマール共和国での最後の大統領選挙で当選したヒンデンブルクが、選挙での対立候補であり、「成り上がり者」として毛嫌いしていたヒトラーを首相に任命したのは、ナチスが選挙で一定の支持を得ていたことはともかくとして、さすがの彼も彼の党も、ドイツという大国の政権を担うことになれば、国家と国民に対する指導者としての責任に目覚め、それまでのような無茶はしなくなるだろうという淡い期待があったからである。

また、世界戦争の危機が高まる中で行われたミュンヘン会談 (1938)で、当時のイギリス首相チェンバレンが、ヒトラーの領土要求を全面的にのんだのは、それ以上の要求はしないというヒトラーの言葉を、国家元首としての重みのあるものとして信用したからであり、わずか20年前の第一次大戦という破壊的な経験からして、いくらなんでも本気で戦争をやるはずはない、戦争などという彼の言葉はただの脅しであり、餌さえやっておけばおとなしくなるさと思い込んでいたからである。


つまり、ヒンデンブルクチェンバレンも、文明国の指導者が国家と国民に対して負う責任意識を当然のものとし、したがってそのような指導者は、可能な限り、戦争ではなく平和を、野蛮ではなく文明を、破壊ではなく秩序を優先するはずだということを自明のものとしていたのだ。しかし、残念なことに、彼らの願望に反して、ヒトラーと彼の党にとっては、そのようなことはけっして自ずから明らかなことなどではなかった。

プロシア軍人としての誇りを重んじたヒンデンブルクにとって、また議会政治発祥の国で長く保守党政治家として活動していたチェンバレンにとって、おそらく 「成り上がり者」の元伍長はまったく理解し得ない存在であり、彼の主張も同様にまったく理解できないたわごとであったにちがいない。

にもかかわらず、彼らはそれまでのヨーロッパ政治の中で尊重されてきた価値観を自明のものとしていたため、ヒトラーと彼の党のそのような言動はただの人気集めの宣伝にすぎず、彼らも最終的には同じようにそれまでの価値観に従うものと信じて疑わなかったのだろう。だが、そのために、彼らは、ナチスがはらんでいた恐るべき危険性についても気づくことがなかったのだ。


人はある価値の正しさを自明のものとしていると、往々にしてそのような価値を共有していない人々のことを理解できなくなる。そして、そのような価値を自明のものとして疑ったことのない人々は、それを自明のものとしない人々が侮れない力を持って姿を現したとき、いわば不意を撃たれたかのように感じ、一瞬にしてすべての自信と力を失うことすらあるのだ。


自明の正しさを疑うということは、言い換えればそのような正しさの自明さに安住しないことであり、そのような正しさの根拠をつねに問い続けることで、その正しさを日々新たなものとして再生させ確認することでもある。

たとえば、話題としては少し古くなったが、赤木智弘という人が 『論座』 に発表し、いささか論議を呼んだ二つの 「論文」 について言えば、そこでの彼の戦争観の甘さを指摘することなどは、誰にでもできる簡単なことだ。

しかし、おそらくこの論文を書いた彼の意図も、そして一番の問題もそこにあるのではない。問われていることは、戦後長い間、自明のものとされてきた「正しさ」 の根拠を、もう一度問い直すことのはずである。続編での、「けっきょく、『自己責任』 ですか」という言葉で表現された彼の苛立ちは、そのことに気づかない鈍感な批判者に対する不満として読まれるべきだろう。

参考:赤木智弘
「丸山真男」 をひっぱたきたい 論座 2007年1月号」

続 「丸山真男」 をひっぱたきたい論座 2007年6月号」


追記:この文章は、赤木氏をヒトラーになぞらえているわけではありません。くれぐれも誤解されないように。