クライン孝子ってなにものなのだ

沖縄の少女暴行事件でもそうだったが、イージス艦の事件でもクライン孝子という自称ジャーナリストが、自分のブログで次々とでたらめな読者メールを紹介している。

http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080221
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080222
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080223
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080226
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080227

 6. そして,先生ご指摘の通り,遺体が発見できないこと。
   これは,現場の海流のせいかもしれませんが,極端な想像を
   すれば衝突した船には,衝突の時点で人が乗っていなかったか,
   衝突後遺体が片付けられてしまったか不明です。
   ミステリーの領域に入ってしまいますが。


 7. 事件の進行と,マスコミ,漁業関係者の動きの早さが,
   沖縄の諸事件と類似のパターンを描いていること。
   バックに沖縄とおなじ団体なりが存在して,指揮を執っているの
   ではないか,と思わせる統制ぶりです。

  http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080226


この人たちにとっては、「国家」や「軍隊」はなにやら崇高な使命を帯びた存在として「感情移入」しやすい存在なのだろう。それに対して、日々自分の腕や足で生活の糧を稼いでいる普通の人々は、なんの尊厳も崇高さという感情も呼び起こさない、ただの豆粒のようなものに過ぎないのだろう。
行方不明の親子の無事を祈って、海岸で読経したり手を合わせたりしている漁民らは、彼らにとってはおそらく「無知蒙昧」で軽蔑すべき存在であり、まっとうな想像力を働かせるべき存在ですらないのだろう。

だが、そのような「板子一枚下は地獄」(なごなぐ雑記)という危険と隣りあわせで日々暮らしている人間と、その生活に思いを寄せることのできない人間らこそ、もっとも無知蒙昧で唾棄すべき存在というべきだ。
倒錯しているのは、いったい誰なのだ。


追記:
漁船の発見時期をめぐる発表が二転三転している。
早くから確認していたと言えば、回避行動を取らなかったことが問題になるし、かといって確認が遅れたと言えば、見張りの怠慢が問題になるし、ということで、損得の計算をやっていたのではないか。
実際には、引継ぎの間に漁船の位置を見失い、衝突にも気付かなかったのではないのだろうか。巨大なイージス艦からすれば、あのような小船との衝突が乗員にまったく気付かれなかったとしても不思議ではない。
それにしても、1分前に確認して「全力後進」で回避しようとしたなどという言訳は馬鹿げている。
海の上で、しかもあのように巨大な艦艇がわずか1分前に後進に切り替えたところで、少々の減速程度の働きしかしないだろう。これは、ほとんどなにも措置をとらなかったというのと同じだと言うべきだろう。