自戒を込めて

あまりに無茶苦茶な言動を繰り返すもので、てっきり若い人かと思っていたら、自分よりもずっと年上の人だったというのは、なにも今回が初めてではない。
それに、そういう見方は若い人への偏見でもあるわけだが、なんというか、ネットの毒はすでに中高年層にまで十分に広がっているということであろうか。
ネット中毒者=青年・若年層というのは、もはや根拠のない偏見でしかないというべきのようだ。
かの人に同情する気はまったく起こらないが、あまりに無惨である。
これは注意せねばなるまい。もって他山の石とすべきである。


追記:(4/9)
終わったと思っていたら、まだ終わっていなかった。
すべての言葉が自分自身に返ってきているのは、まったくいつものパターン。いと哀れなり。
http://blog.tatsuru.com/2008/04/08_0936.php#comments


まだまだ続いている。
たかだか、人の掌の上で踊っている道化にすぎないのに、存在論的な「他者」を自称するとは噴飯ものだ。
そもそも、「釜ガ崎」だの「労働者」だの「下層」だの「底辺」だのといった言葉で人を脅しつけるような超越的「倫理」こそ、スターリニストのやり口として、またスターリニズムを底辺から支える心情として、吉本隆明により70年代に徹底的に批判されたものではないか。
コムデギャルソンを着てシャンデリアを飾った家に住むなど怪しからんという、埴谷のいちゃもんで始まった吉本と埴谷の論争も、そこをめぐって行われたのだが。
その点に関して言えば、内田さんはただ吉本の論理をなぞっているにすぎない。であれば、イカ氏が敵として批判すべきは内田樹ではなく、吉本隆明のはずである。それに、吉本の言葉らしきものを持ち出して「東大ということころはビョー人の集まりだ。」などとのたまっているが、それを言い出せば、彼が影響をうけたと称する加藤典洋も東大卒だし、今村仁司は東大と並ぶ京大の出身なわけで、同様に「知識人」であることに変わりはない。
なお、マルクスも、この手の自称「労働者」の頑迷さには相当頭にきたのだろう。「無知がものの役に立ったためしはない」と言っている。下手にマルクスの「イデオロギー=虚偽意識論」など持ち出さぬ方が身のためだ。