違和感を表明しておく

若松孝二の『実録・連合赤軍 あさま山荘』が各所で話題になっている。
たとえば、こことか
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080413/1208102583

上の人は事件のときにはまだ生れてもいなかったようだが、このエントリには共鳴するところが多い。
たぶん、自分としては見ないと思う。
事件の経過については十分に知っているし(当時は中学生だった)、上で紹介されている内容を読む限り、見ても得るところはなにもないと思うからだ。


なお、それとは別のところの話になるが、永田・森にしても、総括死を遂げた若者らにしても、「純粋」だったといえばそれはそうだろう。しかし、それを言えば、オウムの青年らだって、やっぱり純粋じゃなかったのか。
問題はむしろ狭く閉じた共同性の中で、「共産主義化論」などといった上から与えられた「理念」の正しさを疑うことを知らない、そのような「純粋さ」にこそあるのではないか。
山の中のキャンプで批判者や下部メンバーに「総括」を迫った指導部は、つねに少数だったはずだ。
多くの下部メンバーはみな、次は自分の番かも、と恐怖しながら矢面にたったメンバーへのリンチに手を貸したのではなかったのか。
そこで、彼らがいっせいにそれは違うと声をあげれば「総括」は止まったはずではないのか。
どんな場合にも王が王であるのは、臣下が臣下としての態度をとるからだ。
森・永田の専制を支えたのは、メンバー自身らではなかったのか。
「総括」という名のリンチは、組織内にまっとうな議論が存在しなかったからこそ起きたのだろう。
つまらぬ「倫理」のもとで、正常な感性も理性も圧殺されていったことが最大の問題なのだ。
「寛容」か「不寛容」かなどという問題ではない。仲間割れなどせずに、みんな仲良くしてれば良かったのに、などという問題でもない。そもそも、あの事件はお互いの対等な立場を前提とする「仲間割れ」ですらない。
そういうところを問わずに、「みんな純粋だったのに」だとか、「戦う相手を間違えたのね」などと悲しんで涙を流してもしょうがあるまい。
そんな感想はまったく無意味だ。


追記:
jabberさんのところで揉め事があったのは、ついさっき知った。
そこで問題になっていたもともとのMさんの「水伝」騒動と「連赤」事件を比較したエントリについては、逆の見方を示した追記もあったので、まいっかと思ったのだけど、やっぱり「連赤」事件に対する感想としては感傷に流れすぎていて駄目だと思う。


追記の追記:
そもそもなんで若松はこんな映画をいまさら作ったのか。
総括すべきは、60-70年代のラジカリズムにコミットした自分自身の行為であり、言動ではないのか。
それが彼らよりも年長であり、しかも彼らより長く生き残った者としての責任ではないのか。
それは重信房子塩見孝也も同じことだ。
いまさら、どの面下げてなにをのこのこと顔を出しているのだ。
ただの懐古趣味ならやめてしまえ。
http://wakamatsukoji.org/
http://wakamatsukoji.org/blog/
↑を見つけて読んだら、ますます腹が立った。


追記の追記の追記(4/17)

 

 しかし、かれらが「頭」で、いいかえれば革命理論で結合したものだから、「心」の結びつきなどなかったという診断は、うそである。かれらの「服務規律」と称する論理と技術をかねた条項を読めば、彼らが<理論>で結合したのではなく、<心情>で結合したものであることがすぐ理解される。・・・


 かれらの理論が、すべて<わたしは抑圧されている人民のために、差別されている人々のために、たたかいます>という<暖かい>心情論理から、一歩も出ようとしない未開なものであるという意味でいうのだ。<抑圧されている人民>とはなにをさすのか。<差別されている人々>にたいする個人的な倫理観や同情心と、<差別>を共同性として、政治運動の問題にするときとは、どうちがわなくてはならないのか、またどうちがうのか、というようなことについて、自らに問いを発し、疑義を提出し、それに自ら答をつくりあげ、というような<冷たい>論理に向かう思考の過程を、まったく停止していることが問題なのだ。

                             「情況への発言」1972年6月


 この吉本の言葉は今も生きているし、この言葉を超える分析もいまだに存在しない。

 言うまでもないことだが、見てもいない映画について語るのはいいことではない。しかし死者をだしにした映画で賞を取ったことを誇らしげに語っている男の映画など、私は見たくはないし、見るつもりもない。