馬齢を重ねる

「馬齢を重ねる」という言葉は、齢を重ね経験を積んだ人は、それなりに成熟し「知恵」を持っているはずだという前提があればこそ意味があるのだ。
つまり、そういう表現を使うときには、年を重ねた人にはそういう人であってほしいという期待とか願望も込められているのであり、そうでなかったときの驚きや失望感の表現でもあるわけだ。
なので、そういう言葉を使うことが「高齢者」を馬鹿にしたものだというのは、とんだ筋違いであり勘違いなのである。
まあ、言葉の受け取り方というものは、人それぞれなわけだし、そんなふうに言われて嬉しい人はもちろんいないだろうけど。
しかし、そんなことを言われるにはそれなりの根拠があるわけだし、そのうえ、自分でその正しさを裏付けるようなことをさらにやっちゃいかんでしょ。
id:sumita-mさんが言うように、そういう「願望」は幻想であるというのもそうなのだが。
「切れやすい老人」みたいな人が増えてくると、いずれこういう表現自体、無意味なものになるのかもしれない。