「批判する」ということ

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他者を批判するということは、すでに自己を他者の視線にさらけ出すということだ。
その意味において、「安全地帯」からの批判など、原理的に言う限りありえない。
「批判」とは、それ自体において「安全地帯」から身を乗り出すことだからだ。
それに比べるなら、自己批評性を欠いた「内面」のさらけ出しなど、たんなる自己絶対化にすぎない。
そのような「内面」のさらけ出しあいなど、せいぜいのところ、たんなる「不幸」の競い合い、「自虐」の競い合いにすぎない。
それは、かつての私小説作家の「破滅」の競い合いや、ニヒリスティックな行動主義者の「覚悟」の競い合いと同じく、たんに他者の批判を拒絶し、自己の絶対化を正当化する口実でしかない。