箴言 I

人間は、しばしば「自分はこうありたい」という願望を
「自分はこういう人間だ」という自己イメージと取り違え、
そのような者として振舞おうとする。


「考える」とは、小さな違和感にこだわることである。
「合点がいった」とか「すべての謎が氷解した」といった体験は、
たいていの場合、そこで思考が停止したことを意味する。


気宇壮大な「大きなこと」を語ることは、努力を嫌う夢想家の特徴である。
どのような問題であれ、いきなり解決不能なでっかい風呂敷を広げるということは、
それ自体「未熟」であり「無力」であることの証明である。


未熟な人間にはすべてが可能なように思える。
しかし、それは彼が自己と世界の「現実」を見ていないからにすぎない。


問題の真の困難を熟知している人間は、けっしてそのような風呂敷を広げたりはしない。
いかなる問題の解決も、先行する成果を踏まえると同時に、
自己の能力を一歩ずつ高める地道な努力なしにはありえない。