忙しい

千手観音ほどでなくてもいいから、せめて興福寺の阿修羅さんのように、腕が6本あったらいいなと思う。

あっ、それからここで他の人について言及していることは、コメント欄も含めて、本人に読まれることをちゃんと意識しておりますよ。最近は、いろいろな人から「監視」され、あちこちに「通報」されているようですし。なので、気に障ることがあっても、あんまりきいきい言わないでくださいね。ようするに、私はその人をそのように評価しているという、それだけのことでありますから。むろん、それを受け入れろなんて、無理無体なことも言ってはおりませんよ。

それからもう一つ、人に「対話」を要求する人は、まず自分がその人にとって、「対話」に値する人間であるということを相手に示すのが筋でしょう。それができなかったのに、「対話」を拒否されたとか、相手に「対話」する姿勢がないとか言って非難するのは筋違いじゃないですか。誰だって時間は有限なのだし、自分勝手で無意味な「対話」に付き合わされるぐらいなら、なにか本の一冊でも読んでるほうがましなのですよ。違いますか。

おおっ、えらそー。
でもね、そうやって、「対話」だの「コミュニケーション」だのって言葉を、錦の御旗のように振り回してる人ってのも、ちと傲慢ではないですかね。そのために必要なのは、明示的であれ、黙示的であれ、お互いの合意ではないのですか。もちろん、言及した相手からの「問い」に対しては、真摯に対応する義務はあるでしょうけど。そうでもない人からの一方的な「対話」要求なんて、無視されたって文句は言えないのじゃないのと、私は思いますよ。