それは違う

http://mcrash-f2.workarea.jp/archives/2008/07/28/post-162.html

えー、あたしはかねがね、何事においても是々非々であるべきじゃああるまいかと申し述べているわけでございまして、その観点から二者択一に自らを落とし込むことの愚を指摘し続けているわけでござんすな。
このところ「毅然とした」態度がもてはやされがちなこの国にあって、このような態度は風見鶏と蔑まれる傾向があるわけですが、あたしは敢えて風見鶏の勧めを説きたいと考えているわけです。

「是々非々」とは、是は是であり、非は非であることをはっきりさせることが前提だ。
それは中立や第三者を装ったただの「風見鶏」とは違うし、個々の問題の所在と是非を曖昧にすることでもない。
むろん、人はすべての問題について立場を明らかにするなど不可能だし、その必要もない。また、そんなことは誰も要求していない。
しかし、「是々非々」ということを単なる一般論としてではなく、なんらかの問題についての具体的な態度として言うのであれば、少なくともその問題に対しては、自分の立場を鮮明にすることが先決のはずだ。「是々非々」というのは、その先の話だ。


追記:
なんらかの対立に対して、傍観者のような超然とした立場からものを言うことが、「是々非々」なのではない。
また、対立軸を無視して、一貫性のない表層的な「いいとこ取り」や、ただの「つまみ食い」をすることが「是々非々」なのでもない。
立場の異なる者の意見でも聞くべきところがあるならそれを認め、逆に身近な人間であっても、間違った行動や言葉に対しては、きちんと批判し、間違いを指摘するのが、本来の「是々非々」の意味のはずだ。
その意味において、「是々非々」とはもっとも「毅然とした」態度であるというべきである。
そのような意味における「是々非々」ならば、「風見鶏」といった言葉で蔑む人などけっしていないはずだ。
くだらないのは先験的な党派性に基づいた「二者択一」なのであり、それは個々の問題に対して、是か非かのおのれの立場を明らかにすることとはまったく別のことである。