一般論の正しさと個別の認識の正しさは別の話

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090421

まあ、私が違和感を覚えるのが「物事は白か黒かだ」「そして自分は白だ」「自分は白なのだからそうでない奴は黒であり、黒は容赦なく叩いてよい、なぜなら黒は黒だからだ」みたいな人たちだから、しょうがないのか。


こういうあまりに正しすぎる「一般論」というのは、しばしば逆に、自分のほうが相手の言葉に耳を貸さず、理解することを拒否するための便利な道具にもなる。なにしろ、いったん相手がその種の人間だと決め付けてしまえば、そこで話は終わりであり、それ以上、相手の言うことを理解しようと努力する必要もなくなるのだから。

世の中にその手の人がいることは否定しないし(そういえば最近もいたな)、だからそういう「違和感」を覚えるというのもありではある。しかし、「一般論」の正しさと個別の認識の正しさとは別なのだから、天下り的な「一般論」を持ち出す前に、まずは個別の認識について、それが正しいかどうかをきちんと検証し判断しなければならない。でなければ、そのような「一般論」は、ただ自己の誤謬や勘違い、早とちりなどに目をふさぎ、正当化するための道具にしかならない。

そもそも、この程度の「一般論」というのは、「もっと自分を見つめなさい」とか「人間はみな人それぞれです」とかいうのと同様に、それだけならどこにでも転がっていて、誰にでも語れる程度のものにすぎない。

話の経緯については、下を参照
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090420/p1

あとここも少し参考になるかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080715/p1


最初に引用した記事での冒頭の口調から察すると、他にもいろいろあったのかもしれないが、そっちは知らない。


追記:
戦前の歴史や右翼思想、アジア主義といったものについて、なにがしか語ろうというのなら、やはり近代史や政治思想について、それなりにきちんと学ぶことも必要。史学を含めて、人文科学・社会科学というのには、自然科学のようにややこしい数式だの公式といったものこそないが(経済学は別として)、だからといって体系的な素養もないまま下手に口を出せば、揶揄されてもしかたないのは同じこと。歴史について語るのにむろん資格などはいらないが、歴史はクイズ番組で出題されるような、個々のエピソードや印象、真偽不明な事実などの集積だけで語れるものではない。

そもそも、歴史や政治の世界では、当初の理想主義的な「理念」が結果として悲惨な結末に終わるなんてことは珍しくもない。彼も言うように、たしかに「理念」の評価と、結果としての「現実」の評価とはいちおう別の問題ではある。しかし、そこでただ単に、「石原の大東亜共栄圏等々の思想が、本来の理念といかにねじ曲げられて利用されたか」などと嘆いてみても、それだけではほとんど意味はない。

問題は、なぜ当初はそれなりに理想主義的であったはずの石原やアジア主義者の「理念」が、結果として挫折し、現実によって裏切られざるを得なかったかということだ。そこに、そもそも何らかの誤りはなかったのか、間違いを犯したとしたら、いったいどこでどう間違えたのか、そういう検証を抜きにして、今の時代にアジア主義者の「理念」や、彼らの個別の人格だとかを賞賛したところで、しょうがないだろうということ。

ついでに言うと、そういう歴史観って、「裏切り史観」と揶揄された、かつての典型的な「新左翼史観」ともよく似ている。レーニントロツキーが掲げた革命の「理念」は正しかったのだけど、それをスターリンと官僚が簒奪して捻じ曲げちゃったんだみたいな。どっちにしても、あまりに単純すぎる。


なお、アジア主義についてはこんなことを書いた。


追記の追記:
関係ないけど、鑑定では薬物反応も出なかったのに、草なぎ君のマンションを家宅捜索したってのはひどい話。結局、押収物はなんにもなかったらしいが、「裸になることに常習性があったかどうかなどを調べる」というのが、捜索の意図だったとか。
そんな狙いで、いったいなにを探すつもりだったのかね。誰が令状を請求し、誰がそれを許可したのかは知らないが、そんな無駄な捜索に動員された署員もご苦労なことだ。芸能人だから、捜索すればついでになんかやばいものが出てくるかもとでも思ったのだろうか。