一貫して問うていること

自由帳で数学とか物理とか

反日上等!」と外国人差別反対デモで掲げるのがなぜいけなかったのか のコメント欄での
id:kyo_ju 氏の発言から

前にも書いたとおりこれから4日間ほどお返事できない予定なのですが、一言だけ。

久間さんも今回のレスのノリエガさんもそうなのですが、議論を重ねているうちに実際のデモがどうであったかやそれがどのような影響をこれまでに現に与えたかという事実問題からかけ離れてしまってはいないでしょうか。
あたかも今回の反在特会デモが「反日上等」や「うんこ日の丸」だけで括られるもののように言っておられるわけですが、それが事実に反するのはすぐにわかることです。
また、今回のデモが在留外国人政策の帰趨を決する天王山か関が原かのように言ったり、在留外国人が現実に当該デモによって窮地に追いやられたように言ったりされていますが、そうした情勢認識は、isikeriasobiさんの発言を元に大きく膨らませた(という言い方が不適切なら、議論しているうちに勢いがついて膨らんで行ってしまった)ものにすぎないのではないでしょうか。

(以下省略)

http://hisamatomoki.blog112.fc2.com/blog-entry-499.html#comment2013


「他者支援」の運動において、自己の行動が当事者である他者に対してどのような影響を及ぼすおそれがあるか、ということへの配慮がないということ。

そして、そのような配慮を行うことの必要性という意識が欠落しているだけでなく、当該の問題とは直接に関係しない自己の政治的主張を前面に押し出すということは、支援者である自己の位置と、当事者である他者の位置を無意識のうちに混同し、支援者である自己を、そのまま当事者である他者の位置に移行させてしまっていることの象徴的な表れではないのか。

それはつまり、当事者である他者を自己の勝手な善意によって無視し、自分をその上に置くことで行われる他者の代弁であり、結局は当事者である他者の政治的利用にすぎないのではないのか。

それは、あなたが言うような、そのような行為によって、実際にどのような影響がどのくらい生じているか、などという「事実問題」とは関係ない。そういう「事実問題」などというレベルの話をしているのではない。

私が一貫して問うているのは、そのような「他者支援」の運動において、支援者がとるべき姿勢であり思想の問題なのであって、「そんなんじゃ、一般の国民には受け入れられないよ」などという戦術レベルの問題などでもない。

たしかに、実際には、たいした影響などないかもしれない。だが、だからいいじゃないか、というような話は全然していない。そもそも、それが自分では声を上げにくい当事者らに対して、実際に大きな影響を与えていたのでは、それこそ取り返しのつかない話ではないか。

もしも間違いがあるなら、それが大きくなって、実際に取り返しのつかないような結果が生じる前に訂正し、是正すべきではないのか。人間の頭というものは、そういうことのためにあるのではないのか。

行動のあとに必要なのは、そういう自他による批判を交えた点検であり、反省のはずだ。誰も行動の全体を批判したり否定したりはしていない。デモなどしないほうが良かった、などという話もしていない。

むろん、党派的に結託した批判や非難などもしていない。「日の丸」をパロディにすることは、いっさい許されない、などというバカな話ももちろんしていない。