過去記事の発掘

某所プルードンの言葉が出ていたのでちょっと反応

「無政府主義についての誤解を正す」

 そもそも無政府を意味するアナルシという言葉は、19世紀フランスの人であるプルードンによる造語である。たとえば、彼はある手紙の中で、自分の思想について次のように述べている。

わたしの考えでは、無政府とは秩序の維持と、またあらゆる種類の自由の確保が、科学と法律との発達によって形成される公私の意識のみで十分な、一つの政治形式もしくは結合のことであり、強権の原理、警察制度、圧制と抑圧の手段、官僚主義、租税などがもっとも単純なるものにまで制限され、君主制と高度の集権化が連合制度と共同体に基づいた生活様式で置き換えられることにより消滅した政治形式もしくは結合をいうのである。


 また、彼は別の著書では、アナーキズムとは 「各人による各人の統治、すなわち英語でいう self-government (自己統治)のことであり...」 とも述べている。

 つまり、無政府主義とは、国家や政府といった社会を上から支配・統制する権力なしに、人々が自らの社会を自らの手で統治しうるということ、すなわちそのような強制的権力なしに人々は自らの行動を律しうるという、民衆の自治能力に対する全面的な信頼の上に成り立っているのであり、その根底に横たわっているのは、いささか楽観主義にすぎる人間観だということになる。


リバタリアニズムアナーキズムの関係について言えば、リバタリアニズムが国家に対する不信という意味で、広い意味でのアナーキズムの流れに属するとは言えるだろう。いずれにしても、細かく見ればいろいろな傾向があるのは当然だが、問題は「市場法則」の自己調整能力(アダム・スミスのいう「神の見えざる手」)に対する態度と、また市場の存在を前提とするならば、それをさらに統制する社会の自治能力に対する信頼度の問題ということになるのでは。もっとも、今時分スミスの言う「神の見えざる手」を手放しで賞揚する人はそうはいないだろうが。