ほのめかしの政治学

特定アジア」 という言葉がある。どうやら、この言葉は中国、韓国と北朝鮮という、一部の日本人によって 「反日的」 と言われている三国をまとめて指す言葉として、いつのまにか使われるようになっているらしい。

いうまでもないことだが、「特定」 という言葉はそれだでけでは意味をなさない。中央アジアも 「特定」 のアジアであるし、東南アジアも西アジアも 「特定」 のアジアである。そこで使われている 「特定」 という言葉がどこの地域を指しているのか、はじめに定義されていなければ、それがアジアのどこを指しているのかは誰にも分からない。

にもかかわらず、この 「特定アジア」 という言葉は、中国と韓国、北朝鮮という 「特定」 の諸国を指す固有の言葉として、とりわけそのような諸国やその国民、出身者に対する嫌悪や侮蔑の感情をあらわにする人々によって使われているようだ。それは、あちこちの掲示板やブログなどで、この言葉がどのように使われているかをちょいと調べてみればすぐに分かる。


つまり、「特定アジア」 という言葉を使っている人々は、その 「特定」 という言葉が具体的にどこを指すかを、自分たちで明確に定義することなしに、暗黙の前提としてこの曖昧な言葉を使っているということだ。それは、たとえば 「差別語」 として使用が禁じられた言葉のかわりに、巧妙に作られた別の言葉を用いて行われる 「ほのめかし」 という行為と同じことのように思われる。


ようするに、そのような掲示板などで行われているのは、ネットという公開空間での話し合いではなく、実はトイレや更衣室の片隅のような閉鎖的な場所で行われる、仲間内だけでしか通用しない隠語を使ったひそひそ話であり、そこであらわになっているのは、お前らはこの言葉を知らないだろうけど、おれたちは知っているのだよという、奇妙な優越感と連帯感なのだろう。

そして、そのような態度は、たとえば、直接的な表現を故意に避けた曖昧なほのめかしによるイジメを注意された者らの、おれたちはなにも 「馬鹿」 とか 「死ね」 なんて言ってないよ、だからなにも悪くないだろう、という子供じみた開き直りの態度と共通しており、故意に不明確な言葉を使うことによって、自分の言葉に責任を取ることを回避する態度であるといってもいいだろう。


Wikipedia によると、この言葉は、「中国・韓国・北朝鮮を特定する様々な呼称(極東三国、極東三馬鹿、反日国家等)」 が「当該三国に対する侮蔑的表現」 であり、「このことを憂慮する人々により、本来的意味のアジアを縮小解釈する、すなわち侮蔑的表現にあたらない同義の語句の模索が図られた。その結果として、同義語として特定アジアの語句が提唱(下記の記述を参照)され、使用が拡大しつつある。」 のだそうだ。

この項目を書いたのが誰かは知らぬが、ずいぶん馬鹿なやつもいたものである。「特定アジア」 という言葉が 「極東三馬鹿」だの 「反日国家」 などといった言葉の言い換えとして使われるとすれば、そこに直接の 「侮蔑的表現」 が含まれていなくとも、「侮蔑的意思」 は含まれており、そのような文脈で使用されることになるのは必然的なことだ。その結果、この言葉は、まさにそのような意味を持つものとして了解され、実際に流通しているのではないか。


サルトルは 『ユダヤ人』(岩波新書)の中でこんなことを言っている。

 今、私は、反ユダヤ主義者たちの 「言葉」 をいくつか並べたが、それはみんな馬鹿げている。・・・

 だが、反ユダヤ人主義者たちが、これらの返事の無意味なことにまったく気付いていないと思ってはならない。彼らは、自分たちの話が軽率で、あやふやであることはよく承知している。彼らはその話をもてあそんでいるのだ。

 言葉を真面目に使わなければならないのは、言葉を信じている相手のほうで、彼らには、もてあそぶ権利があるのである。話をもてあそぶことを楽しんでさえいるのである。なぜなら、滑稽な理屈を並べることによって、話し相手の真面目な調子の信用を失墜できるから。

 彼らは不誠実であることに、快感をさえ感じているのである。なぜなら、彼らにとって、問題は、正しい議論で相手を承服させることではなく、相手の気勢をくじいたり、戸惑わせたりすることだからである。


むろん、独裁政権や圧政的な支配のもとにある場合のように、ときには直接の名指しを避けた 「ほのめかし」 という方法によってしか、批判や風刺が行えないという状況もある。

しかし、そのような状況ではなく、その必要性もないにもかかわらず行われる、「ほのめかし」 という 「言葉をもてあそぶ」 行為には、つねに隠微な悪意と陋劣な心情が潜んでいると言うべきだろう。


http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070515
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070620