ノーマン・メイラー死亡

昨日、ノーマン・メイラーが死んだそうである。
生年は1923年で、享年84歳だったそうだから、とりあえず大往生ということになるだろう。

日本の作家でいうと、三島由紀夫や安倍公房とほぼ同世代であり、つまり第二次世界大戦という、20世紀最大の事件の荒波をもろに被った世代である。実際に、彼は南太平洋での日本軍との戦闘に従軍し、戦後は 「進駐軍」 の兵士として千葉の銚子で1年ほど過ごしたのだそうだ。


というわけで、わが家の書棚から発掘したのは、次のとおり。

    『裸者と死者』上・下(新潮文庫:山西英一訳)

    『鹿の園』(新潮文庫:山西英一訳)

    『ぼく自身のための広告』上・下(新潮社:山西英一訳)

    『死刑執行人の歌 - 殺人者ゲイリーギルモアの物語』上のみ(同文書院

    『聖書物語』(ハルキ文庫)



ただし、この中でちゃんと最後まで読んだのは 『裸者と死者』 だけであるから、たいしたことは言えない。なにしろ、イエスの生涯を描いた最後の『聖書物語』を除いて、いずれも大作ぞろいなうえに、作風も文体も先行するフォークナーらの影響を受けた難解にして晦渋なものときているから、一冊読破するには心してかからねばならない。

メイラーという作家を一言で表すとすれば、「スキャンダラスな作家」 であり、公的にも私的にも「スキャンダラスな人生」 を送った人ということになるだろう。

処女作の 『裸者と死者』ではサイパンかどこかをモデルにしたような太平洋の孤島での日米両軍の戦闘と、その中での狂気じみた部隊と兵士の行動を描き、『鹿の園』ではハリウッドを舞台に 「爛熟したアメリカ文明の生んだ腐敗と頽廃」を描いている。また60年代には黒人運動やベトナム反戦運動にも、急進的な知識人の一人として積極的に関与し、逮捕されたこともあるそうだ。たとえば、この時期の大江健三郎の作品と行動には、明らかにメイラーの強い影響が見受けられる。


世代も同じで、捕虜としてドレスデン空襲を経験したヴォネガットの作風が、くりかえし 「そういうものだ」とつぶやく、諦念を帯びた隠者風のものであったのに対して、メイラーの作風は、現代文学のいわば 「王道」をいく者としての強烈な野心と、自己の才能と知性に対する過剰なまでの自信に裏打ちされたものである。

つまり、一貫してアメリカの政治と社会に対して批判的態度を貫きながらも、彼自身の生き方は典型的なアメリカ人そのもののそれであったと言えるだろう。なにしろ6回の結婚をして、9人もの子供をもうけたそうだから。ちなみにモンローは3回、エリザベス・テイラーは8回(相手は7人)結婚しているということだ。


今年のノーベル文学賞を受賞したレッシングは87歳であった。メイラーもあと何年か頑張っていれば、ひょっとするとその可能性もあったかもしれないのに残念である。こういった賞は死んでしまっては貰えないのだから、まだ若い村上春樹などより、まずはこういうもうあまり先の長くなさそうな人からあげたほうがよいのではないかと思うのだ(たとえば、フィリップ・ロスとか)。

 

 ぼくのうちには、老人の苦々しい消耗と、頭のいい青年の小生意気な議論がとなりあっている。だから、ぼくはおよそ36というぼくのほんとの年齢の人間ではない。怒りはぼくを残忍と紙一重にした。腰をおろしてこの作品集のための説法を書くぼくの気分のうちには、傲岸不遜なものがたぶんにある。・・・

 だから、まちがっていようがいまいが、今日のアメリカの小説家のうちで、いちばん深刻な影響をあたえるのは、かくいうぼくの現在ならびに将来の作品であるとまで、ぼくがあえて考えるのは明らかである。

                          「ぼく自身のための第一の広告」

 しかし、晩年の 『聖書物語』では、処刑されたイエスの生涯をとおして、けっして全能ではない、ときにはナチによるユダヤ人虐殺のような凶暴な悪に敗北することもある「人間のような神」 を描こうとしたというのだから、彼の 「傲岸不遜」さも最後には変わっていたのかもしれない。ようするに、彼もそれだけ波乱万丈の長い人生を送ったということだ。