ヘーゲル 「小論理学」 から

 人々はしばしば本質というカテゴリーを抽象的に使用し、事物を考察する場合、事物の本質を事物の現象の特定の内容に無関係なもの、それだけで存立するものとして固定する。たとえば、人々はよく、人間において大切なことはその本質であって、その行為や行状ではないという。これには確かに正しいところもあって、人間の行為はその直接態においてではなく、彼の内面によって媒介されたもの、彼の内面の顕示としてのみ見なければならない。ただこの場合、看過してならないのは、本質および内的なものは、現象することによってのみ、そうしたものであるという実を示すということである。人々が、自分の行為の内容と相違する本質を引き合いに出す場合には、普通その根底に、自分の単なる主観性を主張し、主観的かつ客観的に妥当するものを回避しようとする意図があるのである。


本質とは現象するものであって、現象しない本質とはたんなる無にすぎない。
陰謀論」は、しばしばそのような現象しない「隠れた本質」なるものを仮構する点で、宗教的なイデオロギー、とりわけ神と悪魔の戦いという善悪二元論的なイデオロギーと酷似している。

彼らにとって、一般の民衆を欺き、世界を裏で操作している巨大な「陰謀組織」とその成員とは、人間の皮をかぶった悪魔の別名である。そのような「陰謀組織」の成員は、普段はなにくわぬ顔で普通の人々と入り混じりながら、裏でなにやら怪しからぬ陰謀を企み実行しているというわけだ(なんだか、昔の「続猿の惑星」で登場した、死の間際や儀式の際に仮面を脱いで血管の浮き出た素顔を晒す、核戦争でミュータント化した地底人の姿を思い出してしまった)。

日本では、欧米ほどにこのような邪悪な「陰謀論」が広まりえないのは、ひょっとすると、キリスト教のような善悪二元論的宗教が根付きにくいことと同根なのかもしれない。