安易な「反権威主義」にひそむいかがわしさ

なんだか、つい最近の産経の「『反基地』勢力が叫ぶいかがわしさ」なる記事の題名に似てしまったが、あの記事とはなんの関係もない。あの記事について言えば、あのようなことを言う花岡某という記者と、それを載せた産経のほうがよっぽどいかがわしいという意見に全面的に同意する。

この国の「反権力」を標榜する人たちがしばしば見落としがちなのは、イタリアのファシズムもドイツのナチズムも、既成の権力と支配体制に対する異議申し立てという、下から広がった大衆的な運動によって支えられることで、権力への階段を駆け上がっていったという事実である。むろん、最終的な権力の掌握は、既成支配層から労働者や農民に対する反革命としての承認を得たことによるものではあるが。

ムッソリーニはもともと親父の代からの筋金入りの社会主義者であったし、ナチスの正式名称がドイツ国民(国家)社会主義労働者党であり、反ユンカー、反資本主義を標榜していたことも忘れてはならないだろう。彼らが一部の大衆から熱狂的な支持を得たのは、そこに「擬似革命」としての社会変革という夢が託されていたからでもある。*1

戦前の日本の場合は、天皇制という牢固たる支配構造ゆえに、そのような大衆的支持に支えられた本格的なファシズム国家は成立しなかった。*2しかし、明治憲法解釈における定説として、少なくとも大多数の政府官僚や知識人らの間には定着していたかに見えていた美濃部達吉の「天皇機関説*3が、日本古来の国体に反するとして右翼勢力から猛烈に攻撃されたことに現れているように、明治以降、それなりに定着しつつあった議会政治を麻痺させ、最終的に崩壊させたのも、やはり一種の「反権威」主義的な運動ではなかったのだろうか。

「国体論」の名を借りて美濃部を攻撃した連中にとっては、美濃部もまた近代的=西欧的な知と学問を修めた帝大教授という「権威」だったのであり、その彼に対する攻撃の根底にあったのは、明治以降の急速な「西欧化」=「近代化」によって様々な社会の歪みが蓄積してきた結果、明治政府の急激な方針転換によりいったんは抑え込まれていた幕末の復古思想が、「近代化」そのものに対する怨恨と反動として息を吹き返したということだろう*4

既成の権力や権威に対する反抗であれば、なんでもよいわけではない。そのようなことをいう者は、ただの愚か者である。そのような既成権威に対する「反抗」が、ときには歴史を巻き戻そうとする「反動」と結びつくこともあることを見落とすべきではない。

そもそも「常識」を捨てれば直感で真理が見えてくるというのならば、誰も苦労はしない。コペルニクスガリレオの「地動説」にしても、常識を疑うというような単純なことで成立したわけではない。彼らが乗り越えた困難をそのように単純化することは、彼らの偉大な業績を称揚するどころか、愚弄することにしかなっていない。

9.11のような複雑な事件の真相が「直感」で分かるのなら、世の中、どんな事件も直感で犯人が分かるというものだろう。それは、複雑な法律も司法制度も、また科学的な捜査や証拠による立証も不要であり、したがって弁護人による反論も不要だというのと同じである。

ただの無知に基づき、無知に居直っただけの安易な「反権威」主義のいきつくところは、人間が様々な困難を乗り越えて築いてきた歴史と文明の成果を破壊し、放り捨てることにしかならないだろう。

馬鹿を言うのもいい加減にしろというところだ。

*1:イタリアにおけるファシズムは、ある種非常な近代性を帯びていたし、ナチス内部には、後に粛清されることにはなるが、左派と呼ばれる潮流が存在していた。

*2:戦前の日本に体制としてのファシズムが成立していたかどうかには、様々な議論がある。保守的な立場からの「日本ファシズム」の否定論者には、しばしばそのことを、「戦前の日本はナチスほど酷い体制ではなかった」というような弁護論と結びつける傾向があるのは事実である。しかし、これは、本来「ファシズムとはなにか」という優れて理論的な問題なのであって、政治的評価の議論と結び付けるべきではない。

*3:むろん、明治憲法は厳密な意味での近代憲法ではない。美濃部の「天皇機関説」は、復古性と近代性の両面を兼ね備えた折衷的な明治憲法を、可能な限り近代化された方向で解釈しようとした学説であったということができる。

*4:そこには、欧米列強との対立の先鋭化による、ナショナリズムの高揚という背景があったことも、むろん無視できないが。