民族問題についてのメモ

旧ユーゴでの民族問題が東欧圏の中でも非常に悪化した理由のひとつは、この地域がカリスマ的なチトー政権のもとで、独自の「自主管理型社会主義」を掲げてソビエトや他の東欧諸国とは一定の距離を置いた国づくりを進めた結果、周辺諸国から政治的に隔離された特殊な状況にあったことにあるように思う。

コソボの独立宣言が今後どのように推移するかは不明だが、かつてローザがレーニンの「民族自決論」を批判して言ったように、この地域の民族構成は非常に複雑であり、どのように線引きをしても必ず少数民族が発生する。線引き次第で、多数民族と少数民族の立場はいくらでも入れ替わり、昨日までの多数派が今日は少数派に転落するという状況が必ず発生する。

その結果、レーニンが言ったような単純な民族自決論では中欧・東欧の民族問題は解決しないというのが、ローザが指摘したことだ。事実、旧ユーゴの解体は、民族問題が当初のいくつかの共和国の連邦脱退から、より小さな地域での民族問題へと細分化され、民族間の敵意が全般化し、社会全体に蔓延してますます深まりながら無限に拡大し続けるという様相を示した。

結局、民族問題の解決は、少数民族地域の政治的な分離・独立の権利を認めながらも、当事者の一方に肩入れするのではなく、全体をより大きな秩序(ただし、ある特定の民族や国家の支配による「帝国」的秩序ではない)の中に緩やかに統合することが可能かどうかにかかっているのだろう。

ところで「結合の前に分離を」と言ったのは、大正末期から昭和初期にかけて一世を風靡した福本和夫であるよ。