馬鹿馬鹿しい

「少なくとも、死ぬ覚悟もないような連中は、彼らを批判することなんか、できっこないんです。彼らよりも楽なところにいた人間が、批判なんかできないはずです」

(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社)

これはただの特攻隊の論理であり、自死した三島と同じ論理だ。
命かけようが死ぬ覚悟があろうが、駄目なものは駄目であり、愚劣なものは愚劣なのだ。
駄目なものや愚劣なものを批判する権利は、命などかけていないちゃらんぽらんな人間だろうと、だれにでもある。やっぱり、若松は間違っている。

そもそもこのような論理こそが、「命のかけあいっこ」による運動の無謀な急進化と、さらには組織のメンバーに対して「革命兵士」として「死ぬ覚悟」を求めるという「共産主義化」の論理と「総括」を招いたのではないか。

結局、若松は絶望的なほど事件からなにも学んでいない。
ようするにこの人は、ただのロマン主義者でしかない。


念のため追記しておくが、下らぬ思想の持ち主でも、立派な作品を作ることはある。
作品の評価は、その作者のイデオロギーとは別である。
したがって、以上の評価は作品の価値とは別の問題だ。
だが、いずれにしても、今さらそのような映画など見たくはない。

http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200804170000/


追記: 事件の真相について知りたければ、永田洋子坂口弘の手記など、読むべきものはいくらでもあるはずだ。生半可な再現映像で無意味な感傷に浸って涙を流すよりも、むしろそのほうがはるかに意義があるだろう。少なくとも、たかだか映画を見た程度で、事件について分かった気にはなってもらいたくない。