「抑圧的寛容」あるいは「寛容的抑圧」

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たんぽぽさんのおっしゃっている【図式】というのは、
たんぽぽさんの考える【図式】であって、
人によっては全く違った【図式】で理解している方もいます。


人の数だけ、違った解釈=図式があるということを受け入れることも
「人との違いを容認する寛容さ」であると言えると思います。


こういう分かりきったことというのは、普通の日本語では「愚にもつかぬこと」という。
他人に「他者への寛容」を説くのであれば、自分にとって理解できない「行動」をする人を見たときは、それを自分のありあわせの「カテゴリー」に押し込めて安直な言葉で非難する前に、世の中にはそのような人もいるのだという事実を認め、そのうえで、その人がどういう「思考」と「行動原理」に基づいてそのよう行動しているのかを、まずじっくりと自分の頭で考えてみたほうがいい。

どこにでもあるような自分の物指しと自分の甲羅だけでしか他人を判断できないのでは、「人との違いを容認する寛容さ」などという看板が泣くというものだ。
「他者」の存在を認めるということも、「他者との対話」ということも、そこからしか始まらないはず。
あなたと私とでは、解釈が違いますね。はい、それじゃさようなら、では、そもそも「対話」もなにも成立しないだろ。