「本質」なる言葉によって本質に目をふさぐ人たち

http://dr-stonefly.at.webry.info/200807/article_5.html

やつらださん、今回の貴殿のエントリーおよびコメント欄の本質的な部分には考えさせられました。ありがとう。……

バーニカさん、はじめまして。今回は件のエントリーの本質的な部分を語ったので、「B29の爆撃風景」は関係ありませんよね。


「本質」とは、あるものをそのものとしている、そのものに特有の性質を意味する。言い換えるならば、まさにそのものを他のものから区別しているものこそが、そのものの本質なのであり、それは人間の場合も同じことだ。

ある人の「本質」というものは、その人が印籠のように振りかざしている、どこにでも転がっているような型どおりの「正論」にではなく、その人固有の行為、その人固有の言論や語法、語り方にこそ表れる。

上のエントリで参照されているもとのブログ記事について言うならば、そこで持ち出されている「派遣社員の怒り」だの「格差社会」だのといった問題に、そのエントリとそれを書いた本人の本質があるのではない。

そのような多くの人が認めざるを得ない「正論」を持ち出して、他のブロガーに対してまったくの言いがかりにすぎない攻撃を加えるという彼の行為、さらには「絨毯爆撃」などと称して現実の空爆写真を貼り付けて、他ブログに嫌がらせのトラックバックを大量に送りつけたり、下劣な罵倒コメントを書き込んだりといった、「ネットウヨク」とほとんど見分けがつかない彼の言動にこそ、彼の隠しえない「本質」が表れているのではないのか。

自分にとって都合のいい、とりすましたところだけを「本質」と称し、都合の悪いところは「本質」ではないとして切り捨てるとは、ずいぶんと呆れた都合のいい論法である。


追記:2008/7/16
簡単に、かつ一口で言えば、それは「臭いものに蓋」って論理じゃないのかってこと。