奇妙な言い回し

小池百合子が、「総裁選に出馬させていただく」と言っていたが、出馬するかしないかは、本人が決めることで、20人以上の推薦人が集まれば堂々と出馬すればよいだけのこと。
別に、他の人の許可がいるわけじゃあるまいし、なんでそういう言い方をするのかさっぱり分からん。こういう訳の分からぬ言い回しは、いまやあちこちで使われている。本人は「謙譲」のつもりなのかもしれないが、聞くたびに、責任回避の臭いがして気持ち悪い。
なんで、「誰がなんと言おうと、私は出馬するのじゃー」と、はっきり言わんのかな。
「改革」がモットーだそうで、「改革すべきは改革し、守るべきは守る」と仰っていたが、そんなんは当たり前のこと。それでは、なにも言っていないのと同じ。いつでもどこにも通用する一般論などは意味がない。真理とはつねに具体的でなければならないのだよ。
いろいろ言っていたが、なんだか全部嘘くさく聞こえてしまった。


追記:9/10
たとえば、職場の上司とかに、面と向かって「辞めさせていただきます」と言えば、いささかあてつけっぽく聞こえる。
また、「書かせていただきます」というのは、場合によっては脅しっぽくも聞こえる。
この場合は、本来「立候補することにいたしました」とか「立候補する決意を固めました」などで十分だろう。

なお、「真理とは具体的でなければならない」というのは、ヘーゲルの言葉だと思っていたが、レーニンによれば直接にはプレハーノフの言葉らしい。

弁証法的論理学は、故プレハーノフがヘーゲルにならってこのんで言っていたように、「抽象的真理はない、真理はつねに具体的であることを教えている。

ふたたび労働組合について、現在の情勢について(1921)


これはいわゆる「労働組合論争」の中で書かれた文書で、トロツキーブハーリンの両方を批判している。ブハーリンはよく折衷主義とか均衡論などと批判されるが、レーニンが遺書の中で「彼は弁証法をまったく学んでいない」と書いたのは有名な話。