愚か者の最後の砦

「物の見方は人それぞれ」というのは、たしかにそうである。だが、だからといって、世の中のあらゆる意見が、みな同等であり、等価であるということにはなるまい。

正邪や善悪が問題にはならず、個性が重要視され尊重される芸術においてすら、一流と二流・三流の差異は厳然として存在する。ゴッホゴッホであり、ゴーギャンゴーギャンであり、そこに差異をつけるのは困難だが、だからといってそのような絵とただのど素人の絵まで、同等であり等価だというバカはいまい。

「物の見方は人それぞれ」だとしても、その中には、当然ばかげたものや子供じみたくだらないものもある。そういった意見を公の場で臆面もなく述べれば、他人から批判されるのは当たり前のことである。

「物の見方は人それぞれ」という一見正当であはあるが、内容のない価値相対主義は、自己の正当さを主張しえず、かといって他人の批判にはいっさい耳を貸したくない頑迷な者らが最後に持ち出す根拠であり、最後に逃げ込む脆い砦でもある。