オバマ氏に関する記事の再掲

以前に、楽天のほうで書いた記事であるが、こちらに再掲する。
まだ、民主党内でヒラリー氏とオバマ氏による、熾烈な大統領候補指名争いが行われていた当時の記事なので、オバマ氏が大統領となった今の時点では、やや古くなっている部分もあるが、そこはご勘弁を。


http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801080000/
オバマ候補は「黒人系」なのか

 民主党の大統領予備選挙では、どうやらオバマ候補が優勢のようである。テレビで、ニューハンプシャー州の党員集会での討論の様子が映されていたが、どう見ても、ヒラリー候補の発言や顔つきには余裕が感じられなかった。実際、ここへきて両者の差はしだいに開きつつあるようだ。そのうえ、テレビでああいう醜態を、わずかとはいえ見せてしまったことは、ヒラリーにとって、今後に致命的な影響を与える恐れもある。

 今回の選挙が注目を浴びている理由のひとつは、いうまでもなくヒラリーが勝っても、オバマが勝っても、初物の大統領が誕生する可能性があることである。つまり、ヒラリーが勝てば初の女性大統領が、オバマが勝てば初の黒人系大統領が、それぞれ誕生する可能性があるというわけだ。

 たしかに、ヒラリー候補が女性であることは間違いない。なにしろ、ビル・クリントン元大統領の夫人であり、二人の間にはチェルシーという娘さんもいるわけだから。しかし、オバマ候補の方は、どうもそう単純ではないようだ。

 話によると、オバマ候補はケニア出身の父親とカンザス出身のスウェーデン系の母親との間に生れ、幼い頃に両親が離婚してからは、母親の一家とハワイで育ったそうだ。ならば、彼は黒人の血と白人の血を同等に引いているわけだから、彼を 「黒人系」と呼ぶのなら、論理的に言う限り、それと同等の権利をもって、「白人系」と呼ぶこともできるはずである。だが、そういうふうに言っている人は、一人もいない。それは、なぜなのか。 
 いささか、けち付けというか、こじつけのように聞こえるかもしれないが、そういうわけではない。確かに彼の肌は褐色を帯びていて、容貌も白人よりも黒人に近いように見える。また、彼自身、自分を 「アフリカン・アメリカン」 と規定しているそうで、そのことをどうこういうつもりもない。

 いずれにしても、明確に黒人の血を引いていることは間違いないのだから、その意味では 「初物」 であることも間違いない。ただし、上述のように、彼はアメリカに多い、いわゆる 「黒人奴隷」 の子孫ではない。そのことには、アメリカの歴史が抱える 「良心の疼き」を刺激しないという利点があるのかもしれない。

 たとえば、先住民であるインディオと白人植民者、それにアフリカから連れてこられてきた黒人という三種類の 「人種」 が混在するラテンアメリカでは、白人とインディオの混血はメスチソといい、白人と黒人の混血はムラートインディオと黒人の混血はサンボというそうだ。

 それだけではない。白人と黒人の到来からは、すでに数百年も経過しているのだから、現実はもっとややこしいものであり、そういったややこしさを表す、もっとややこしい分類まで存在しているらしい。つまり、歴史的に言う限り、そこではだれがどの 「人種」の血をどれだけ引いているかが、厳しい社会的評価の対象とされてきたというわけだろう。

 また、非人道的なユダヤ人弾圧を行ったナチス・ドイツでは、その政策を進めるにあたって、祖父母4人のうち、一人でもユダヤ人がいればそいつはユダヤ人だというように定義していたそうだ。つまり、そこでは非ユダヤ人である3人の祖父母よりも、ユダヤ人であるたった1人の祖父母の存在のほうが重視されていたわけだ (もっとも、同様の困難は戦後のイスラエル建国のさいにも生じ、結局、皮肉にも似たような 「定義」 が行われることになったらしい)。

 一般に、支配的なマジョリティと、被支配的マイノリティが混住する社会で、マジョリティとマイノリティの混血が進んだ場合、社会では、彼や彼女が受け継いでいるマジョリティの血よりも、たとえわずかでも 「混ざって」 いるマイノリティの血のほうが重要視される 。

 その結果、彼らは社会的な意味で、マジョリティの側ではなく、マイノリティの側に分類されることになる。これは、世界中どこの地域をとっても、まず間違いなく同じである。もっとも、ラテンアメリカのように、かつての 「植民地」帝国の名残がいまだ強い地域では、マイノリティとマジョリティの支配関係が逆になることもあるが、基本的な力学は同じことだ。

 幼い頃に両親が離婚したあと、白人である母親とその家族のもとで育ち、黒人である父親の記憶はほとんどないというオバマ候補が、それもかかわらず、自らを 「アフリカン・アメリカン」と規定するようになったということの背景に、そのような社会的視線だとかの存在を想像することは、おそらく間違いではないだろう。

 むろん、そのような彼の出自と経歴が、多様な民族的出自を持つ人々が混住する中、8年間のブッシュ政権のもとで、社会を大きく分断した「緊張状態」 が続いたアメリカの人々にとって、アメリカには黒人も白人もラティーノもアジア人もない。われわれは皆、星条旗アメリカに忠誠を誓った一つのアメリカ国民だ」 という彼の言葉を、うわべだけのきれいごとではない、誠実味を帯びたものとして感じさせている要因になっていることも、確かなことではあるだろう。

(2008.01.08)


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