東洋のマタハリ、こと川島芳子の存在も忘れないで

田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」より一部抜粋

 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥傑(フケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。


こういうことを言うのであれば、清王朝の一族で、粛親王善耆の第十四王女として北京に生まれ、辛亥革命の勃発によって清が滅んだあと、川島浪速の養女となって来日し、のちに「東洋のマタハリ」と呼ばれることになった川島芳子のことにも触れなきゃ、片手落ちというものでしょ。自分に都合のいいところだけ、つまみ食いするのはよくありません。
それに、降伏した敵国や併合した相手の王家一族をそれなりに厚遇するというのは、別に珍しい話ではないでしょ。政治的な利用価値がそこそこにあったというだけのことではないのかな。
幕末の志士らが天皇を「玉」と呼んで、その政治的主張の実現のために抱き込みを図ったというのも有名な話だし、皇女和宮じゃないけど、皇族や華族の娘だろうと、「国家」やそのときの支配層の政治的意思の実現のためには、本人の意思に関係なく利用されたというだけのことでしょ。田母神さん、ピントずれてやしませんか。
だいたい、あなた「日本に対する人質のような形」って、自分で言っちゃってるじゃないですか。それって、どういう意味なの。


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