罵倒語についての考察

孔子様のありがたい言葉に、「おのれの欲せざることを人に施すことなかれ」というのがある。出典はむろん『論語』であるが、これは彼の説く道徳の基本原則と言っていいだろう。

さて、これを逆向きに応用すると、人に嫌がらせを言うときは、「おのれが言われて嫌なことを相手に言え」ということになるだろう。つまり、ある人が腹立ち紛れに誰かにぶつける言葉とは、一般的に言って、まさにその人自身にとって、自分が言われたら一番嫌な言葉だということになる。

ところで、先日、ちょっと一言のコメント欄で、私に対して「命令しなさんな。そういうことを言うのなら警告しておきますが、あなたの文章を見る限り、私の知っている人の中であなたは決して知的水準が高い方ではありません。」と言った人がいるのだが、これはなにを意味するのだろうか*1

私は別にそんなことを言われてもなんともない。世の中には、私なんぞよりはるかに「知的水準」が高い人間がいることなど、十分に承知している。そんなことは当たり前田のクラッカーである。自慢じゃないが、それほど私は自惚れてはいない。それに、そういった人の言葉を疑う必要も理由もないわけだから、彼がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

しかし、こういう言葉を腹立ち紛れに「警告」*2などと称してぶつけてくるということは、つまり、そういう言葉を使えば、こちらに対してダメージを与えることができると彼が考えているからなのだろう。

ということは、つまり彼にとっては、誰かからそういう言葉をぶつけられることが、一番嫌なことであり、ダメージを受けるということなのだろう。それはつまり、さらになにを意味するのかというと、いささか興味深いものがあるが、あまり追究するのもなんだから、まあこのへんでやめておく。

ところで、こう言った人の周りに、その言葉どおりに私などより「知的水準」の高い人が大勢いるとして、だからなんだというのだろう。そのことは、そう言った人自身の「知的水準」とやらについては、なに一つ説明しても証明してもいないのだが。

*1:相手のあまりの読解力のなさにうんざりしていたので、ついついこちらも「もうちょっとよく考えてから、ものを言いなさい。」と、いささか不穏当なことを言ってしまったのだが。

*2:よく考えると、彼の使った「警告」という表現もおかしなものだ。「警告」とは、ふつう「〜〜したら〜〜なりますよ」とか「〜〜しなければ〜〜なりますよ」みたいに、なんらかの予想される危険について注意するものであり、事実を表明するものではない。