忠告

正義感から生じた「義憤」などというものは、それ自体ではなんの正しさも担保しえない。
大事なことは、それがほんとうに正しかったのか、どこかに自分の勘違いや思い込み、根拠なき断定がなかったか、などをもう一度検証してみることだ。
自分の「正しさ」に固執するあまり、不毛な堂々めぐりに陥り、詭弁とすり替え、無理な論法の山に迷い込んでいるのはいったい誰なのだ。
ことわざにも「地獄への道は善意で敷き詰められている」というではないか。