Midas氏へのお返事

id:Midas www.songfacts.com/detail.php?id=1014←悪いのは誤解したタカ派?「届くべき人へ」主張を明確にしなかった作者?君は社会主義リアリズム芸術だけの世界や作者が製作の意図を解説しなければいけない社会をお望み?>id:PledgeCrew

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君はどうしていつも、こうもつまらぬことばかりしたり顔で言いたがるのかね。
あらゆる「表現」には、受け手によって誤解される可能性がつきものだ。
そんなことはシニフィアンシニフィエの裂けがたい分裂」などと、きいたふうなことを言わずとも、分かりきったことだ。

それは、人間の思考や意思が、いったんは音声や文字といった決して完全ではない物質的手段によって「外化」しなければ表現できないこと。そしてその表現を、今度は受け手が自己の「主観」によって認識しなければならないというコミュニケーションの構造が持つ根本的な矛盾なのだ。

その矛盾は送り手の「表現」と受け手の「認識」によって作られた二重の矛盾なのであって、「シニフィアンシニフィエの裂けがたい分裂」などという単純なことではない。お望みなら、「ドイツ・イデオロギー」でも引用してあげてもいいがね

そもそも、「芸術的表現」の問題と「メッセージ」としての表現の問題をごっちゃにしている点で、君には問題をちゃんと区別することができないのは明らかだ。たとえ作家が行うものであっても、授賞式とかで行うスピーチは、歌や詩、小説のような「表現」そのものに価値があるものとは違うのだよ。

むろん、メッセージを伝える場合だって、そこで効果を強めるために、多少いろいろな「芸術的」技法を使うことまでは否定しない。しかし、そのためにかえって、メッセージそのものが曖昧になっては意味があるまい。「イソップの言葉は最後の手段」と書いたことの意味は、分かったのかね。なにもその必要がないときまで、「イソップの言葉」など使うことはないのじゃないか。


「ありがとう」と感謝し帰ってくるのが最大の反戦意志を本人の内で表してない保証など何処にもない。

そんなことは分かりきったことだ。だからこそ、
スターリン万歳や毛沢東万歳だって本人の内では「最大の批判意志」を表してた可能性ならいくらでもあるさ」

と答えたのだが、君のメタブクマはなんの反論にも弁明にもなってない。


スプリングスティーンの歌がどうしたって?
少なくとも、そこには人に伝えようというひとつのメッセージが「逆説」という形ではあれ表現されており、表現しようという積極的な意思もある。だから、それは単なる「本人の内」という話ではない。君がやっているのは、ただの問題のすり替えだろ。もっとも自分でもその違いが分かっていないのかもしれないが。

そもそも世の中、「誤解」で批判されることだって、「誤解」で支持されることだっていくらでもあるさ。いずれにしたって、それは「表現」を生業にするものが負わざるを得ないリスクというものだろう。

だが、具体的な「メッセージ」を伝えなければならないときには、まず送り手のほうが、それが少なくとも「届けるべき人」にちゃんと届くように努力する必要があるのではないのか。問題はそれが「届けるべき人」にちゃんと伝わるかどうかだ。

しかし、それはなにも激烈なイスラエル批判などではなくともよい。イスラエルともパレスチナとも「無縁」な遠く離れたアジアの作家が、彼女自身、東欧系ユダヤ人の移民の子であったソンタグの真似などする必要はない。訳知り顔で無責任な批判などすべきではないのは、分かりきったことだ。そんなことは最初から明確に書いているが、君はそれをちゃんと読んだのかね。

「求められているのは、あれやこれやの政治的スローガンを叫ぶことでも、あれやこれやの「政治勢力」に同調することでもない。」と書いたところも、「名前の売れた作家だからといって、なにも次から次へとあれこれの声明に署名し、あちこちの集会に出かけ、なんのかんのとアピールを発する必要はない」と書いたところも、読んではいないのかね。

届けたいメッセージが届けたい人らに届きさえすれば、あとは最初から当人に対し悪意や偏見を持っている者とかに誤解されようがどうしようが、たいした問題じゃない。人の揚げ足を取って、つまらぬ難癖をつけようと待ち構えている下らぬ人間や、自分が理解できないことを相手のせいにするような愚かな人間は、いつの時代にだっているものだ。

最後に聞くが、君は自分の家族や友人とかに自分の意思や意見を伝えるときにも、暗喩や逆説を多用した「芸術的表現」をするのかね。
それじゃ、君の意思は相手にちゃんと伝わらないと思うが、その場合はいったいどっちが悪いのかね。

「誤解」したほうか? それとも「主張を明確にしなかった」君のほうか?

問題は、個別の例に応じて具体的に論じなければ意味がないのだ。
ずれまくりのしょうもない「一般論」や、筋違いの関係ない話を持ち出しても、なんの反論にもならない。