パレスチナの問題はイスラエルの問題でもある

id:F1977さんへ

F1977 イスラエルという国家の存在自体がありえないのだから、その国家が設けるエルサレム賞もありえず、ありえない賞の受賞スピーチの是非論もありえない。あるのはガザの、パレスチナの人々の長きにわたる苦しみだけです

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tmsigmund/20090220


イスラエルという国家の起源と存在が問題含みであることはそのとおりだ。
しかし、現にそこには700万人の人がおり、その生活があり、強力な軍隊を持った「国家」として存在していることは否定できまい。
そこで、そのような論理を持ち出すことは、あまりに空疎に過ぎはしないか。
「ガザの、パレスチナの人々の長きにわたる苦しみ」に心を寄せるのはよいが、良くも悪くも歴史によって既成化された事実を無視した態度は現実的には意味がない。
存在しているのは、「パレスチナの人々の長きにわたる苦しみ」だけではない。
イスラエルという「国家」と、そこに住む人々の存在も現実ではないのか。
そのことを無視するのであれば、「倫理的に現実に係ることを優先する」という言葉も空虚でしかない。


あなたが「パレスチナの人々」の方を優先させるのはかまわない。
そのような態度によって、パレスチナの側の現実に係わるというのなら、それもかまわない。
個人の心情や行為としては、それはありうることだ。
人は同時に両側に係るわけにはいかないだろう。
しかし、ただパレスチナの人々を支援するというだけでなく、問題の解決にまで関心を寄せるのなら、一方の「現実」をただ言葉の上だけで否定するのは、ただのナイーブで無力な心情の告白にすぎないのではないか。
そのように、言葉の上だけでイスラエルという国家の存在を否定してみせることが、どうして「現実」に係ることになるのか。


イスラエルが問題の一方の当事者である以上、そちらに対して働きかけることも必要ではないのか。
あなたの論理は、そういう働きかけすら否定することになりはしないか。
「現実」は一方の事実や、自分にとって優先的な事実だけで構成されているわけではない。