あまりにも虚しい(虚しい)TBレスへの応答

http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090225/1235522675

 夏目漱石を読もう、

 大岡昇平を読もう、

 深沢七郎を読もう、

 蓮實重彦を読もう、

 フローベールを読もう、

 アドルノを読もう、

 田川健三を読もう、

 ……と考えるだけだ。

(馬鹿馬鹿しいオマケ)

・単純な二元論、などと言う揶揄は、アドルノを読んだことがあるなら言えないだろう。

・単純な二元論だとしても、なんでも「私たち」へと統合してしまう、さらに単純な一元論は、それよりも高尚だと言いたいのであろうか。

・団体に入ったら抜けられない?(暴力団じゃあるまいし)、団体の方針が決まったらそれに従うのがあたりまえ? そういう考え方が、たとえば日本企業の不祥事隠蔽体質の基礎にあるのである。


いったい、なにを言っているのかね。
私は、君自身の言葉と君自身の考えについて問うたのだよ。
「単純な二元論」というのは、君の言葉に表れていた社会観の素朴さを指摘したにすぎない。
アドルノを読んだなどという、君のつまらぬ自慢話などどうでもいいことだ。
それとも、ヒトラーの登場に歓呼した人々は、君が言うように「システムに抑圧され、厭々ながら従わされて」いたのかね。
口を開けばアドルノアドルノと連呼し、彼の主著をハンドルにするぐらいだから、当然、30年代のドイツ史についても知らないわけはあるまい。
だったら、いくらなんでも、「嫌々ながら」なんてそんな単純な言葉が出てくるわけがないではないか。
だから、君の社会観は、「「フランクフルト学派」などを持ち出すわりには、あまりに素朴にすぎはしないか。」と言ったのだ。
それに、君が本当にアドルノを理解したというのなら、一元論か二元論かなどという、これまた単純な話にはならんのじゃないのかね。
「日本企業の不祥事隠蔽体質」などと、陳腐なうえに何の関係もない意味不明の御託を並べて、馬鹿な逃げ口上を言うものではない。


私は、「間違っているのは、「お前にも責任があるのだからつべこべ文句を言うな」という、それこそ自らの責任を棚上げにした上位の者による恫喝の論理なのであって、各自なんらかの責任を負っているという「事実」ではない。」と言ったのだ。

ようするに、そのことは認めるのだな。
ならば、君の批判はすべて見当違いであり、お門違いだったということだ。
批判すべきは、誰しもがなんらかの「責任」を負っているということから、一種の「共犯幻想」を作り上げて、「お前にも責任があるのだからつべこべ文句を言うな」という脅しで批判を封殺する恫喝の論理に含まれる虚偽と、それに負けてずるずると「加担」を続けてしまう者の惰弱さではないのかね。
それこそが、たとえばスターリン主義的な党と国家による圧制を支えた論理ではないのかね。


別に村上をこれ以上持ち上げるつもりはないが、例のスピーチで「私たちがシステムを作ったのです。」と言った村上は、そこから「つべこべ文句を言うな」という帰結を引き出したのか。
そうであるなら、君の批判も成り立つが、そうでなければ君の批判は、たとえそれ自体としては一定の正当性があるとしても、村上に対する批判としてはまったく的外れな、ただの「藁人形」たたきにすぎないのではないのかね。
ばかばかしいとは、こっちのせりふだ。


そもそも君は、アドルノを読んでいるのは、自分だけだとでも思っているのかね。
君がアドルノを読んでいようがいまいが、それから漱石を読もうが、大岡昇平を読もうが、蓮見重彦を読もうが、田川健三を読もうが、そんなことは全然関係ない話だ。
そんなに読みたければ、勝手に読めばいいことだ。誰もとめやしない。
もっとも、たしかに村上春樹に惑溺するよりは、そのほうがいいだろうね。
ただし、蓮見についてはたいして読んじゃいないから保留させてもらう。


それにしても、なんの脈絡もなく、そんな「大家」の名前をずらずらと並べる底の浅さはなんとかならないのか。そういう行為もまた、君の言うようなロマン主義的でナルシスティックな陶酔の産物ではないのかね。
読まされるほうが、恥ずかしくなる。