まだ分からない人のために

いまさらこんなことを言うのも馬鹿馬鹿しい話だが、なにかを批判するときは自分の責任を棚に上げてはならないというのは、全然間違っていない。
自分の責任を棚に上げた批判など、ただの無責任な言論にすぎないなんてことは、それこそ小学生にも分かることだろう。
したがって、「自分の責任を棚にあげてつべこべ批判を抜かすな」という言葉も、それだけを取り上げるなら、どこも間違ってはいない。


しかし、このような言葉が、たとえば組織の上位の者から下位に向かって発せられるときは、「お前にも責任があるのだからつべこべ文句を言うな」というメタメッセージを伴っており、実際には批判を封殺するための恫喝として機能している。(メタ読みというのは、そういうときにするものだ。まあ、威張るほどのものでもないけど)

したがって、なにかの問題でそういう言葉を浴びせられたときは、「つべこべ文句を言うな」という恫喝としてのメタメッセージの受け取りは拒否し、ただ表層のメッセージだけを受け取って、こう答えればよい。


そうです。私にも責任があります。
そして、私は今あなたを批判することで、
引き続き、その責任を果たそうとしているのです。


つまるところ、アドルノ大好きさん(id:negative_dialektik)は、その違いに気づかずに、両者をごっちゃにしたうえで、まったく的の外れた頓珍漢なことを言っていたわけであり、他人に「誤読の上に誤読を重ねているにすぎない。」などと言う資格なんてないのである。
まったくもって、こちらこそ「やれやれ」である。
ちなみに、山岳キャンプで、森と永田に対して坂口弘や吉野雅邦らがすべきだったのも、そういうことである。
つまり「「私たち」みんなが悪い」ということを受け入れると同時に、「共犯幻想」に屈せずに彼らの間違いを指摘して、未来へ向かっての責任をも果たすべきだったのだ。