「反ユダヤ主義」についてのメモ
日本は、先進国の中で「反ユダヤ主義」的書物が公然と出版され、また多くの読者に公然と読まれている唯一の国だということがよく言われる。その理由は簡単であり、歴史的にユダヤ人問題がこの国には存在せず、したがって「反ユダヤ主義」をめぐる問題の深刻さと重大さが実感としては認識されていないからだ。
われわれにとってのユダヤ人とは、おそらくひとつは「カバラ」だの「タルムード」だのという、なんかよう分からん過去を持つ神秘的で謎めいた存在ということであり、もうひとつは、中東における軍事大国としての「イスラエル」という国家、そしてまた現代のアメリカにおける、社会的地位が比較的高く、したがってその数に比して発言力も強い「社会的集団」というイメージだろう。
イスラエルの「建国」は当然戦後の話だが、アメリカにおいても「反ユダヤ主義」の歴史が存在しなかったわけではなく、ユダヤ人の社会的進出が顕著になったのも、そう古い話ではない。ノーマン・メイラーやソール・ベロー、フィリップ・ロスといった「ユダヤ系作家」のあいつぐ登場が話題になったのだって、たかだか戦後の話にすぎない。
いや、そもそもワイマール期のドイツにおいても、すでにユダヤ系ドイツ人は多くの知的エリートを輩出し、社会的にも地位の高い階層の一角を占めていたのではなかったのか。ワイマール共和国で外相を務めたラーテナウは実業家の家に生まれたユダヤ人だったし(後に暗殺されたが)、フッサールやアインシュタインもそうだ。ベンヤミンやフランクフルト学派の面々など、左派系知識人・政治家に多くのユダヤ人がいたことは言うまでもない。(参照: Wikipedia「ユダヤ系ドイツ人」)
ハイネを除いたドイツ文学史などありえず、またマルクスを除いたドイツ思想史もありえないように、ユダヤ系ドイツ人のすべてを除いた「近代ドイツ史」などありえないだろう。当時すでに多くのユダヤ系ドイツ人は、自分たちがドイツの歴史と文化の重要な一部であると感じ、またそのことを誇りにも思っていたはずだ。しかし、その結果はどうだったのか。
そのことを考えれば、いまなおイスラエルを始めとする世界のユダヤ人が、あちらこちらでの「反ユダヤ主義」的な言論や動向に神経を尖らせているのには十分な理由がある。イスラエルなどによる「反ユダヤ主義」非難が、自国に対する批判を封殺するカードとして使われることもあるからといって、そのすべてが単なる政治的プロパガンダだという話にはならない。
今でも私は、夕刻、年齢を問わず、労働者や職人や貧しい人々が大勢集まって詩や脚本の朗読に傾聴している光景を思い出す。…… 世界中探してみても、高度に文明の発展したこの世界のどこに、あの頃のワルシャワや、ポーランドからリトアニアにまたがる地方のユダヤ系労働者ほどの喜びをもって、自分たちの作家や詩人の言葉に耳をかたむける民族があっただろうか。(中略)
イーディッシュ語は雄渾な力にあふれ、つねに新しい豊かなものを宿していた。しかしそれは間もなく、一夜にして死語と化す運命にあったのである。ユダヤ系作家、詩人は労働運動の中に沈潜し、その運動自体はアトランティス号のように沈没することとなるのである。
ポーランド出身のユダヤ人マルクス主義者である、I . ドイッチャーの著書『非ユダヤ的ユダヤ人』より
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ユダヤ人というものの「定義」に関する困難については、オバマ現大統領に関連して、ここでもちょこっとだけ触れた。
そうそう、ハイネについてはこんなことも書いた。