思ったこと

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090820/1250780633
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090820/1250780633

代替可能な存在であることは、ニンゲンにとって耐えられるものではにゃ


人間の「代替不可能性」というのは、もちろん幻想である。そんなことは、それこそ分かりきったことだ。
戦争や緊急の事故、大災害などといった極限状況においては、当然ながらそんな幻想は吹っ飛んでしまう。
だが、そのような幻想がはぎとられる状況とは、まさに人間がただの生物に還元されてしまう状況と言うべきではないか。


そもそも、人間とは幻想すなわち観念によって生きもすれば死にもする生き物ではないか。
「ニンゲンにとって耐えられるものではにゃー」というのは、そういう意味だろう。


id:Midas氏は、「『代替可能』は残念ながら人間の条件」と言っているが、それはむしろ生物一般にとっての条件であって、特殊な生物としての人間の条件ではない。だからこそ、魚は途中で天敵に食われてもいいように無数の卵を産み、植物もまた無数の花を咲かせて種を作るのではないか。


そういう観念=幻想というものが、人間にとって厄介なものであることは、これまた言うまでもないことだが。